・崔瑩ってどんな人なの?
・ドラマ『シンイー信義ー』でイ・ミンホが演じていて気になった!
・これまで悪役のイメージが強かったけど実際はどうだったの?

こんな疑問に答えていくよ!
ドラマ『シンイ-信義-』で若き日の崔瑩に扮したイ・ミンホが注目され、これまでの悪役としてのイメージが大きく覆されるきっかけとなりました。
朝鮮王朝を建国した初代王・李成桂(太祖)と対立しながらも崔瑩が守りたかったものとは一体なんだったのでしょうか。
そこで今回は、『崔瑩(チェヨン)|李成桂と対立し高麗に全てを捧げた真の英雄』と題しご紹介していきます。
崔瑩(チェヨン)のプロフィール
名前 | 崔瑩(チェヨン) |
生没年 | 1316年〜1388年 |


略年表
1316年 | 崔元直の息子として誕生する。 |
1355年 | 高麗31代王・恭愍王(コンミンワン)の命で、鴨緑江西域の軍事基地を元から奪還する。 |
1359年〜1361年 | 高麗に侵攻した紅巾軍を2度にわたり撃退する。 |
1374年 | 済州島の元の残党を中心にした反乱を鎮圧する。 |
1388年 | 遼東征伐を強行する。威化島(ウィファド)回軍に成功した李成桂に捕らえられ配流となり、死罪となった。 |
史実では
幼少時より力が強かったとされ、倭寇討伐や反乱の制圧で名を馳せる。
1355年、恭愍王の命で元に占領されていたかつての領土を奪還した。この時、ともに戦ったのが、李成桂とその父・李子春(イジャチュン)である。
1359年と1361年には紅巾軍を撃退、その後も済州島で元の残党を鎮圧するなど、名将の名をほしいままにしました。
ところが元に代わって台頭した明は1388年、鉄嶺以北の地はもともと元が管轄していたとして、そのまま自国の領土とする旨を一方的に通告。
これを受けて、王禑(ウワン)と崔瑩は李成桂、曹敏修(チェミョンス)に遼東地域の征伐を指示するが、李成桂は強硬に反対する。
その理由として四不可論(サブルカロン)を唱えたが、崔瑩は遼東征伐を強行した。
1388年5月、鴨緑江(アムノッカン)の威化島付近に達した征伐軍は、大雨による増水、食糧難、士気の低下を理由に撤退を要求するが、王禑は聞き入れなかった。引用:韓国時代劇で学ぶ人物大辞典
業を煮やした李成桂はついに独断で軍を引き返し、開京を占領して王禑を江華島に追放、崔瑩も配流後に処刑した。



この理由を聞く限り、負け戦には参戦するな!っていう李成桂の気持ちが伝わってくるね。確かに納得しちゃうけどな。それでも、崔瑩は戦うことにしたんだね。



そうね。それでも崔瑩は明の支配から鉄嶺以北の地やその地域の人々を守ろうとしたんだろうね。崔瑩が李成桂に捕まって処刑される直前に「私が生涯で一度でも私的な欲を抱いたのなら私の墓には草が生えるだろうが、そうでないのなら生えぬ」と言い残して、実際に草は生えなかったそうよ。



死の直前にこの言葉が出てくる時点で、本当に高麗のために人生を賭けた、っていうことが分かるね。



李成桂も後に、「崔瑩を殺したのは私の本心ではない」「本当の英雄こそ栄光栄華から遠い」という言葉を残し、崔瑩の罪を消し、諡(おくりな)として武愍(ムミン)を与えているの。
崔瑩(チェヨン)の登場する主な作品
ドラマ名 | 役者名 |
龍の涙(96〜98) | キム・ソンオク |
大風水(12) | ソン・ビョンホ |
シンイ-信義-(12) | イ・ミンホ |
鄭道傳<チョン・ドジョン>(14) | ソ・インソク |
六龍が飛ぶ(15) | チョン・グクファン |



崔瑩は高麗末期から朝鮮王朝建国にかけてを描いた様々なドラマに登場するんだけど、その中でも『シンイ-信義-』はドラマチックな英雄として描かれているわ。



『シンイ』は現在と未来が交差するSF作品だよね。それに、今まで崔瑩といえばおじいちゃんのイメージだったから、若いイ・ミンホが演じるのにはびっくりしたな〜。史実に基づいた話を見てみたい時のオススメはある?



そうね〜『龍の涙』かしら。李成桂からの進言に耳を傾けない堅物な崔瑩をキム・ソンオクが演じているわ。『六龍が飛ぶ』でチョン・グクファンが熱演している正義感が強く、なんとしても遼東征伐を実現させたい崔瑩にも注目ね!