・ドラマ『華政』に出ていた貞明公主について詳しく知りたい!
・どんな人物だったの?
・貞明公主が登場する作品は?
こんな声に応えていくよ!
14代王・宣祖の唯一の嫡女で、朝鮮時代で最も長寿を記録した王女・貞明公主。
激動の時代を生きながらも、民衆への配慮を欠かさなかった彼女の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は「貞明(チョンミョン)公主 |朝鮮で最も長生きした心優しき王女」と題し、ご紹介していきます。
貞明(チョンミョン)公主 のプロフィール
名前 | 貞明公主 |
生没年 | 1603〜1685年 |
父 | 第14代王・宣祖 |
母 | 仁穆王后(インモクワンフ)金氏 |
弟 | 永昌大君(ヨンチャンテグン) |
異母兄 | 第15代王・光海君 |
夫 | 洪柱元(ホン・ジュウォン) |
略年表
1603年 | 朝鮮王朝第14代王・宣祖と仁穆王后金氏との間に生まれる。 |
1606年 | 弟の永昌大君が生まれる。 |
1608年 | 異母兄の光海君が第15代王に即位。仁穆王后金氏とともに幽閉される。 |
1614年 | 永昌大君が処刑される。 |
1623年 | 仁祖反正により解放され、身分を回復。3歳下の洪柱元と結婚。 |
1685年 | 83歳で死去。 |
分かりやすく解説
父である14代王・宣祖は2人の正室と6人の側室から14男11女の子どもを得たんだけど、正室から生まれた子どもは2人目の王妃である仁穆王后が産んだ貞明公主と永昌大君だけだったの。
そうだったんだ!さぞかし可愛かっただろうね!
ええ。2人は宣祖が50歳を過ぎてから生まれたこともあって溺愛されたそうよ。でも、宣祖の死後、15代王として異母兄の光海君が王位に就くと状況が一変してしまうの。
具体的にはどうなったの?!
弟の永昌大君はわずか9歳で処刑されて、貞明公主とお母さんの仁穆王后は現在の徳寿宮(トクスグン)に幽閉されてしまったの。仁穆王后は娘の命まで光海君に奪われるのではないかと心配して、貞明公主は亡くなったと話していたそうよ。
光海君はまだ幼かった永昌大君も王座を脅かす存在として捉え、排除したんだね…。
永昌大君は、宣祖の唯一の嫡男だったしね。その後、貞明公主と仁穆王后が解放されたのは、光海君が廃位されて仁祖が即位した1623年よ。この頃、貞明公主はすでに当時では婚期を逃した20歳になっていたわ。
当時の婚期は早いな〜
仁穆王后の懸命な婿探しの末、3歳年下の洪柱元と結婚したわ。夫との仲もよく、7男1女をもうけたそうよ。ちなみに、22代王・正祖の生母の恵慶宮洪氏や正祖の側近の洪国栄は彼女の子孫なんだって!
へぇ〜!
貞明公主は謙虚で情に厚く、民衆にも愛される人物であったと伝わっているわ。清からの侵攻を受け避難する時にも、船に乗せていた私財を全て降ろさせ、民を乗せたとの逸話も残っているの。
貞明(チョンミョン)公主 の登場する主な作品
ドラマ名 | 役者名 |
三銃士(14) | ハン・ミン |
華政(15) | イ・ヨニ |
『華政』では、貞明公主が幽閉後、母・仁穆王后から王宮を脱出させられ、長崎(倭国)の鉱山で男として生き抜くというファンタジー要素が取り入れられているわ!
ちなみに、貞明公主は書道の達人でもあって、ドラマ『華政』のタイトルロゴは、実際の貞明公主の筆跡なんだって!なんでも、幽閉中にお母さんの心を癒すために書道を習得したそうよ。
何百年もの間、保管されていたことにびっくり!どこまでも、貞明公主は心の優しい人だったんだね。