丁若鏞(チョンヤギョン)|正祖から全幅の信頼を受けた実学の巨匠

この記事では、正祖から全幅の信頼を受けて王朝の後期ルネサンスを開花させた丁若鏞(チョンヤギョン)についてまとめています。

・丁若鏞ってどんな人?
・どんな業績を残したの?
・丁若鏞が登場する作品は?

ゆき

こんな疑問に答えていくよ!

各ドラマで正祖のブレインとして登場する丁若鏞。

一体、彼は生涯でどれだけ多くの業績を残し国の発展に寄与したのでしょうか。

そこで今回は、「丁若鏞(チョンヤギョン)|正祖から全幅の信頼を受けた実学の巨匠」と題し、丁若鏞の一生について一緒に見ていきましょう。

丁若鏞(チョンヤギョン)のプロフィール

姓名丁若鏞(チョンヤギョン)、雅号・茶山(タサン)
生没年1762年8月5日〜1836年4月7日

豆知識①雅号(ガゴウ)とは
文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名前のことで、今で言うアーティスト名や芸名のようなものよ。「茶山(タサン)」という名は、丁若鏞が島流しにあった時代に10年ほど住んでいた家の近くにたくさんの茶葉が育っていたことから付けたそうよ。彼の学術業績のほとんどがそこで行われたとされているわ。

ゆき

丁若鏞は京畿道・マヒョンで南人(ナミン)の学者の家に生まれたわ。幼い頃から優秀で、20歳の頃に科挙の臨時試験に合格して成均館(ソンギュングァン)に入学したそうよ。

ひろき

成均館ってよくドラマで見るところだね!

ゆき

ええ。朝鮮時代の最高の教育機関よ。丁若鏞はそこで頭角を現して第22代王・正祖の目に留まり重用されるようになるの。高級官僚登用試験(大科)に5回目で次席合格すると学術研究機関・奎章閣(キュジャンガク)の文臣になって正祖を補佐するようになったんだって。

豆知識②奎章閣(キュジャンガク)とは
朝鮮王朝時代に、学術の振興と親衛官僚育成のために建てられた王室図書館で、歴代王や王室の各種文書や記録、中国の文献、朝鮮の古文書などを収蔵管理し、修復なども行っていたそうよ。

ひろき

5回目で合格か〜。優秀なだけでなく、かなりの努力家だったんだろうね。正祖が信頼を置くのも分かるね!

ゆき

世界遺産にも登録されている水原華城(スウォンファソン)の建設も任されたのよ!伝統工法に加え、西洋の近代工法も導入した設計図を作成したんだって。

水原華城の華虹門 引用:MAPPLE Activity
ゆき

華城建設後は、王名を受けて暗行御史(アメンオサ)となり地方官吏の不正摘発に努めたわ。でも、正祖が急死すると天主教(カトリック)信者の大量迫害事件「辛酉迫害(シニュパケ)」が起き、兄や親族が天主教徒だった丁若鏞も巻き添いとなって島流しの刑にされたわ。

ひろき

このカトリック教の弾圧知ってる!確か、貞純(チョンスン)王后が関与してたよね!?

ゆき

その通りよ。この弾圧で数万人の犠牲者が出たと言われているわ。丁若鏞はそこから約18年もの間、配流生活を送ったそうよ。その間に民衆の生活を観察し、官僚が守るべき心得を記録した「牧民心書(モンミンシムソ)」や国政改革について示した「経世遺表(キョンセユピョ)」などを執筆したそうよ。

ゆき

刑を解かれた後も、官職復帰の誘いを断って故郷で研究と執筆に没頭したんだって。75歳でこの世を去るまで500点あまりの書物を残しているわ。

丁若鏞(チョンヤギョン)が登場する作品一覧

ドラマ名役者名
牧民心書 〜実学者チョン・ヤギョンの生涯〜キム・ハクスン
イ・サンソン・チャンウィ
チョン・ヤギョン 李氏朝鮮王朝の事件簿パク・ジェジョン
トキメキ⭐︎成均館スキャンダルアン・ネサン
雲が描いた月明かりアン・ネサン
正祖暗殺ミステリー8日パク・ジョンチョル

演技派俳優アン・ネサンは、「雲が描いた月明かり」と「トキメキ⭐︎成均館スキャンダル」の両作品で丁若鏞に扮していて、若者たちに指南する姿はまさにハマリ役よ!!

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