・ドラマ『七日の王妃』でパク・ミニョンが演じている王妃について気になった!
・廃位された後は、どう過ごしたの?
・中宗との関係性も知りたい!

こんな声に応えていくよ!
ドラマ『七日の王妃』でパク・ミニョンが演じたことで、日本でも話題となった端敬(タンギョン)王后。
彼女は朝鮮時代に実在した人物で、第11代王・中宗の妻でした。
果たして彼女は、なぜ七日で廃妃されることになったのでしょうか。また、廃妃された後の生活はどのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は「端敬王后|ドラマ『七日の王妃』は実話だった!廃妃されたその後の生活は?」と題し、ご紹介していきます。
端敬(タンギョン)王后のプロフィール
名前 | 端敬王后 慎氏(タンギョンワンフ シンシ) |
生没年 | 1487〜1557年 |
夫 | 朝鮮王朝第11代王・中宗 |
父 | 慎守勤(シン・スグン:実の妹は燕山君の妃) |
略年表
1487年 | 慎守勤の娘として生まれる。 |
1499年 | 晋城大君(チンソンデグン:後の中宗)と結婚する。 |
1506年 | 中宗の即位に伴い王妃になるが、わずか7日で宮殿を追われる。 |
1515年 | 章敬王后が急死し、端敬王后の復位論が湧き上がるが実現せず。 |
1537年 | 71歳で死去。 |
分かりやすく解説



端敬王后は13歳で晋城大君(チンソンデグン:後の中宗)と結婚したわ。中宗が即位したことで王妃になるんだけど、父親の慎守勤が燕山君の義理の兄にあたり中宗反正に賛成しなかったことで、わずか7日で廃妃されたの。



王妃が直接の理由で廃妃にされたわけではなかったんだね。廃妃された後、彼女はどうなったの?



河城尉(ハソンウィ)・鄭顕祖(チョン・ヒョンジョ)という人物の家に追い出された後、実家に戻ったそうよ。中宗の彼女に対する愛情は格別で、思いが募る日は高い楼閣に登って彼女の実家がある方を眺めていたらしいわ。



光景が目に浮かぶね…。



この噂を聞いた端敬王后は、宮中からよく見える裏山の岩に彼女が宮中にいた時によく身につけていた紅色のチマ(スカート)を広げて置いたんだって。中宗は、これを見ながら彼女に対する思いを慰めたそうよ。この話は「チマ岩伝説」として後世に残されているの。



互いに愛し、愛されていたんだね。



また、端敬王后は非常に冷静で政治的感覚も持ち合わせていたと言われているわ。中宗反正では、反正軍が宮中に押し入ってきた際、「自分を殺しにきた!」と思って自害しようとした中宗を説得して思いとどまらせた、という逸話も残っているの。



そんな素敵な女性が廃妃されちゃったんだね…。彼女がいなかったら、中宗は王にならずに死んでいたかもしれないね。



ええ。2人の間に子どもはなく、端敬王后は71歳でこの世を去ったわ。そして、彼女の死から約180年後の英祖時代に復位され、端敬王后の諡号を受けたの。
端敬(タンギョン)王后の登場する主な作品
ドラマ名 | 役者名 |
女人天下(01〜02) | キム・ヒジョン |
師任堂(サイムダン)、色の日記(17) | ユン・ソクファ |
七日の王妃(17) | パク・ミニョン |



『七日の王妃』では、中宗と燕山君の2人から愛されるヒロインとして登場し、『キム秘書はいったい、なぜ?』や『気象庁の人々』などで日本でも高い人気を誇るパク・ミニョンが天真爛漫なお嬢様から悲劇の王妃に転じる姿を演じているわ!



パク・ミニョンがヒロインなら、間違いなく面白いね!



『師任堂、色の日記』では、師任堂の隣に住む謎の女性として登場しているわ。人々から近づいてはいけないと噂され、身なりも質素なんだけど、師任堂に高価な絹の服を貸してあげたりしているの。