・ドラマ『王は愛する』でイム・シワンが演じた忠宣王ってどんな人物だったの?
・ドラマと史実の違いについても知りたい!

こんな声に応えていくよ!
元と高麗の血を継ぎ、父王との間で葛藤した忠宣王。
最後まで高麗の暮らしに馴染めなかった王の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は「【高麗王朝26代】忠宣王(ワンジャン)|最後まで高麗の暮らしに馴染めなかった王」と題し、ご紹介していきます。
忠宣王(チュンソンワン)/王璋(ワンジャン)のプロフィール
本名・初名 | 王璋(ワンジャン)・謜(ウォン) |
生没年 | 1275〜1325年 |
在位期間 | 1298(復位1308〜1313年) |
父 | 高麗王25代・忠烈王(チュンニョルワン) |
母 | 元の皇女・元成公主(ウォンソンコンジュ) |
略年表
1275年 | 第25代・忠烈王と元成公主(荘穆王后)の長男として誕生する。 |
1277年 | 世子に封じられる。 |
1297年 | 母・荘穆王后の訃報に接して帰国する。 |
1298年 | 第26代王に即位するが元に連れ戻され、忠烈王が復位する。 |
1308年 | 忠烈王の死後、再び王位に返り咲くが2ヶ月後に元へ戻る。 |
1325年 | 死去する。 |
史実では
高麗第26代王。元の干渉下、忠烈王と元の皇女・元成公主の間に生まれ、元の宮廷で育てられた。
1296年、元の皇族であるカマラ(甘麻刺)の皇女・薊国大長公主(ゲグクテジャンコンジュ)と婚姻したほか、たくさんの側室がいたことで知られる。
特に高麗の文臣である趙仁規(チョインギュ)の娘で第4妃の趙妃(チョビ)を寵愛したため、薊国大長公主はこれに強く反発。
一方、1297年に母の訃報に接し急ぎ帰国した王璋は、母の死を忠烈王の寵愛を独占していた無比(ムビ)のせいだとして、彼女と側近らを殺害してしまう。
打ちひしがれた忠烈王が譲位を宣言すると、忠宣王が即位して意気揚々と政治改革に乗り出すが、趙妃に嫉妬した薊国大長公主や改革反対派が謀反を企てるという事件が起こり、元に連れ戻される。
忠烈王は復位したものの政治に関心を寄せず、忠宣王を排除することばかりに躍起になっていた。引用:韓国時代劇で学ぶ人物大辞典
やがて忠烈王の死後、ようやく復位が叶うが、長い元生活で高麗に適応できなかったのか、わずか2ヶ月で元に戻り、51歳で死去するまで配流期間を除き元に留まった。
時代劇の豆知識



忠宣王は1298年に即位してから、功臣への褒賞や内侍の地位向上、身分に関係なく実力による昇進・登用などの大々的な改革を実施したの。



さらには、武臣政権後の傾いた武臣たちの権勢を高める政策も打ち立てたわ。



臣下たちにとっては歓迎されただろうね。



ええ。でも志半ばで元に介入されてしまうの。10年後に復位した際に、税金を下げたり、貴族の横暴を厳しく罰したりする改革を再度実施しようとしたんだけど、その頃にはすでに高麗の情勢が変わっていたから、忠宣王の改革が実を結ぶことはなかったの。



そうだったんだ。



モンゴル帝国は1206年に建国されて、1219年に契丹が高麗に侵攻した際には、高麗と共闘して破滅させたりと、しばらくは高麗と良好な関係を保っていたの。



じゃあ、なんで仲が悪くなったの?



モンゴルが高麗に過剰な貢物を要求したことがきっかけだそうよ。そんな中で、1225年にモンゴルの使臣が高麗で遭難して両国の関係は一気に悪化したんだって。



互いに不信感や不満が募っていったんだね。



こうして、モンゴルは1231〜1254年までの間に6度にわたって高麗への侵攻を繰り返したの。1259年に、崔氏政権が倒れて高麗はモンゴルの属国となったの。



そうだったんだね。



1271年にモンゴルが国号を元に改めた後も圧力は続いて、太子は元の皇室で育てられて、その後の歴代王妃も元から迎えられるようになったのよ。



王の諡号には「忠」の字を使って、宗や祖より低い「王」を用いなければならなくなったの。



完全に元によって格下げされちゃったんだね。
忠宣王(チュンソンワン)/王璋(ワンジャン)の登場する主な作品
作品名(ドラマ) | 役者名 |
王は愛する(17) | イム・シワン |



韓国ドラマ史上、初めて忠宣王を描いたのが『王は愛する』よ。少女時代のユナがヒロインのやつね。



僕、見たことあるよ!忠宣王は確か、元の血筋を引くせいで、父親である忠烈王や周囲から警戒されながら育つ孤独な役柄だったよね。



その通りよ。そして、史実では元の宮廷で育てられているんだけど、ドラマでは高麗で暮らしている設定なのよね。



ドラマの中でのロマンスはフィクションだよね?



ええ。でも世子時代の忠宣王が貢女に選ばれた王族の娘を助けるために、妃に迎えたという記録が残っているそうよ!



ドラマにもそんなシーンがあったよ!あれは本当にあった話なんだね。