・高麗王朝に血筋を残したって、例えば誰?
・皇甫氏の経歴は?

こんな疑問に答えていくよ!
高麗建国に尽力した名家に生まれ、高麗王朝に血筋を残した太祖の第4王后・皇甫氏。
自身の息子を亡くすという経験をしながらも、残された孫たちを養育しながら生涯を全うした彼女の人生とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は「皇甫氏(ファンボシ)|高麗王朝に血筋を残した太祖の第4王后」と題し、ご紹介していきます。
皇甫氏(ファンボシ)のプロフィール
本名 | 神静王后 皇甫氏(シンジョンワンフ ファンボシ) |
生没年 | 生年不詳〜983年 |
夫 | 高麗王朝初代王・太祖王建 |
息子 | 王旭(ワンウク) |
娘 | 大穆王后(テモクワンフ:4代王・光宗の妻) |
孫 | 高麗5代王・景宗、6代王・成宗 |
略年表
生年不詳 | |
955年 | 孫の王伷(ワンジュ:後の高麗5代王・景宗)が誕生する。 |
961年 | 孫の王治(ワンチ:後の6代王・成宗)が誕生する。 |
969年 | 第8皇子で息子の王旭と死別する。 |
980年 | ひ孫の王訟(ワンソン:後の7代王・穆宗)が誕生する。 |
980年 | ひ孫の王詢(ワンスン:後の8代王・顕宗)が誕生する。 |
983年 | 死去する。 |
分かりやすく解説



黄海道黄州(ファンヘドファンジュ)一帯の豪族・皇甫悌恭(ファンボジェゴン)の娘よ。皇甫氏は中国・安定発祥の姓で新羅末期に唐から移住したとされているわ。



皇甫氏はどうやって王后になったの?



皇甫氏のお父さんは強大な兵力を持ち、王建の高麗建国に尽力した人物だったの。それで、娘の皇甫氏が第4王后に迎えられたみたいよ。



王建は皇甫一族と姻戚関係を持つことで、その勢力を手にすることができて、皇甫一族も王との結婚でさらに力をつけることができたってわけだね。



その通りよ。王建とは1男1女をもうけたんだけど、後継者争いに敗れた息子の王旭を亡くしてからは、残された孫たちを養育しながら暮らしたそうよ。983年に亡くなった時、80歳前後だったと言われるから、王建とは20歳前後の年齢差があったようね。



王建がだいぶ年上だったんだね。ちなみに皇甫氏の子孫にあたる人物は誰?



5代王・景宗と6代王・成宗が孫にあたるわ。それぞれ皇甫氏の娘と息子の子どもなの。ちなみに、成宗の妃の文徳王后(ムンドクワンフ)は皇甫氏の長女・大穆王后の娘よ。また、7代王・穆宗、8代王・顕宗は曾孫というように、高麗王朝に脈々とつながる血縁を残しているの。
皇甫氏(ファンボシ)の登場する主な作品一覧



温厚な性格で臣下や人々の尊敬を集めていたとされているんだけど、ドラマでは色々な描かれ方をされているのよ。
ドラマ名 | 役者名 |
光宗大王〜帝国の朝〜(02) | アン・ヘスク |
千秋太后(09) | パン・ヒョジュン |
麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜(16) | チョン・ギョンスン |



『光宗大王〜帝国の朝〜』では野心を併せ持った人物として、『麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜』では、強力な実家を後ろ盾に野心満々の神明順成王后劉氏から常に牽制されるんだけど、本人は温厚な人物として描かれているわ。



ドラマによって皇甫氏に対するイメージも変わりそうだね!