・ケベクはどんな人物だったの?
・彼の功績について知りたい!

こんな声に応えていくよ!
ドラマ『階伯<ケベク>』でイ・ソジンが演じたことで話題を集めた百済最後の忠臣・階伯。
自分の命を犠牲にしながらも、滅びゆく国への忠誠を最後まで守った彼の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は「階伯(ケベク)|ドラマで話題!実在した百済最後の忠臣」と題し、ご紹介していきます。
目次
階伯(ケベク)のプロフィール
名前 | 階伯 |
生没年 | 生年不詳〜660年 |
職業 | 武臣 |
略年表
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641年 | 百済31代・義慈王即位。新羅に侵攻。 |
651年 | 唐から新羅との和睦を勧められるも拒否。 |
659年 | 唐と新羅が同盟を結び百済侵攻を計画。 |
660年 | 唐の水軍13万、新羅軍5万が百済に侵攻。 階伯率いる兵5000が黄山伐(ファンサンボル)にて迎え撃つも衆寡敵せず戦死。 義慈王が降伏し百済滅亡。 |
663年 | 「白村江の戦い」で倭済連合軍大敗。 |
史実を分かりやすく解説



滅亡寸前の百済で、王に諫言した成忠(ソンチュン)、新羅侵攻に備えようとした興首(フンス)と並んで、階伯は三忠臣と讃えられているわ!



階伯は何をしたの?



すでに王都に迫っている5万の新羅軍を、わずか5000人で迎え撃て!と命じられたのよ。必敗の状勢の中で、階伯は出陣前に自らの手で妻子の首をはねたわ。男としての相当な覚悟よね。不安を募らせる兵には、中国の故事を例に挙げて鼓舞したそうよ。



10分の1の人数で戦えって?!そりゃ、弱気になる兵士もいただろうね。



迎えた「黄山伐の戦い」では、金庾信(キム・ユシン)率いる新羅軍に4度も勝利したのよ!『三国史記』には、階伯が新羅の若い花郎を助けたエピソードも残っているわ。



すごいね!



でも、新羅軍の猛攻を前についに戦死してしまうの。階伯の活躍によって、唐軍と新羅軍の合流は遅れたものの、義慈王は王都に迫った唐軍を前に降伏して、百済は滅亡したのよ。



金庾信(キム・ユシン)については別記事で詳しくまとめているから、気になる人はチェックしてみてね!
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階伯の登場する主な作品
ドラマ名 | 役者名 |
淵蓋蘇文<ヨンゲソムン>(06〜07) | チョン・フンチェ |
善徳女王(09) | チェ・ウォニョン |
階伯<ケベク>(11) | イ・ソジン |
大王の夢(12〜13) | チェ・ジェソン |



階伯は亡国の忠臣として韓国での評価が高いのよ!他国の視点から描いた『善徳女王』や『大王の夢』でも、高潔な人物として描かれているわ!