恵慶宮(ヘギョングン)|実家の濡れ衣を晴らした正祖の母

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・正祖(イ・サン)のお母さんってどんな人だったの?
・実家の濡れ衣を晴らしたってどういうこと?
・恵慶宮が登場する作品は?

なつき

こんな疑問に答えていくよ!

10歳で思悼世子と結婚し、世子嬪となった恵慶宮。

英祖によって思悼世子が死に追いやられた後、一体彼女はどのような人生を送ったのでしょうか。

そこで今回は、「恵慶宮(ヘギョングン)|実家の濡れ衣を晴らした正祖の母」と題しご紹介していきます。

目次

恵慶宮(ヘギョングン)のプロフィール

姓名恵慶宮 洪氏(ヘギョングン ホンシ)
生没年1735年8月6日〜1816年1月13日
洪鳳漢(ホンボンハン)
思悼世子(サドセジャ)
息子第22代王・正祖

略年表

1735年老論派の洪鳳漢の次女として誕生。
1744年思悼世子と結婚、世子嬪となる。
1762年思悼世子の死後、恵嬪の称号を授かる。
1776年正祖の即位に伴い恵慶宮となる。
1795年『閑中録』(『恨中録』)全6巻の執筆を始める。
1815年81歳で死去。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

分かりやすく解説

なつき

恵慶宮は、1774年に同じ年の思悼世子と10歳で結婚して、世子嬪になったわ。1750年に長男・琔(ジョン)を生むんだけど、わずか2歳で亡くなってしまうの。その半年後に次男・祘(サン:後の正祖)を出産したそうよ。

はると

つまり彼女は、息子一人と夫を早くに亡くすことになったんだね。

なつき

ええ。父の洪鳳漢は老論派の中心人物で夫は少論派寄りだったから、派閥争いの渦中に立ちながらも老論派の陰謀から息子の正祖を守り、即位後も正祖の政治を見守ったそうよ。

はると

おじいちゃんと孫といえども派閥の違いで仲睦まじく、とはいかなかったんだね。

なつき

正祖は即位後、父の死の真相を知り、父・思悼世子を死に追いやった老論派を排除したんだって。それによって、恵慶宮の実家は没落してしまうんだけど、母である恵慶宮は大切に扱ったそうよ。

なつき

正祖が亡くなると、恵慶宮は約10年をかけて自叙伝的回顧録「閑中録(ハンジュンロク)」を執筆したわ。そこには、夫の思悼世子が奇病のせいで死ぬほかなかったと書いてあるの。

はると

つまりはどういうこと?

なつき

老論派である実家がやったことの正当性を主張して冤罪を訴えたの。

はると

思悼世子が米びつに閉じ込められて亡くなったのは精神を病んでいたからであって、決して老論派の告げ口によってではなかった、誰も悪くなかった、ってことだね?

なつき

ええ。「閑中録」には当時の人々の様子が詳細に記されていて、今では、当時の宮中を知る重要な資料となっているそうよ。

恵慶宮(ヘギョングン)が登場する作品一覧

ドラマ名役者名
朝鮮王朝五百年 閑中録(88〜89)チェ・ミョンギル
王道(91)チョン・ヨンスク
大王の道(98)ホン・リナ
ホン・グギョン(01)イ・サンスク
イ・サン(07〜08)キョン・ミリ
正祖暗殺ミステリー8日(07)チョン・エリ
秘密の扉(14)パク・ウンビン
赤い月(15)パク・ハナ
袖先赤いクットン(21)カン・マルグム
映画役者名
王の涙-イ・サンの決断-(14)キム・ソンリョン
王の運命-歴史を変えた八日間-(15)ムン・グニョン
なつき

映画『王の運命-歴史を変えた八日間-』では、ムン・グニョンが特殊メイクをして老人になった恵慶宮の姿を演じて話題になったわ!

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