・洪国栄ってどんな人?
・なんでイ・サンからの信頼を失ってしまったの?
・洪国栄が登場する作品は?

こんな疑問に答えていくよ!
かつては、第22代王・イ・サン(正祖)と厚い信頼・友情で結ばれていた洪国栄。
彼は、一体なぜ王からの信頼を失い失脚することとなってしまったのでしょうか。
そこで今回は、「洪国栄(ホングギョン)|イ・サンからの信頼を失った男の最後」と題し、イ・サンが登場するドラマでは欠かせない存在である洪国栄について一緒に学んでいきましょう。
洪国栄(ホングギョン)のプロフィール
姓名 | 洪国栄(ホングギョン) |
生没年 | 1748年〜1781年4月5日 |
妹 | 元嬪洪氏(ウォンビンホンシ) |
略年表
1748年 | 洪楽春の息子として生まれる。本貫は豊山。 |
1772年 | 科挙に合格する。 |
1776年 | 承政院の都承旨(正三品)に任じられる。 |
1777年 | 宿衛所大将に任じられる。 |
1778年 | 妹(元嬪洪氏)が22代王・正祖の側室に。 |
1779年 | 失脚して配流になる。 |
1781年 | 34歳で死去。 |
洪国栄を分かりやすく解説



洪国栄は1772年に科挙に合格して、第21代王・英祖の時代に文臣となったわ。当時、正祖は父・思悼世子が非行の死を遂げたことに対する怒りから老論派に対する復讐心を抱いていて、世孫時代から敵が多かったそうよ。その政敵から正祖を守ったのが洪国栄だったの。



そうだったんだ。それで、正祖の信頼を得たんだね!



ええ。正祖は即位後、洪国栄を最高官庁である承政院(スンジョンウォン)や王を護衛する特殊部隊である宿衛所(スギソ)のトップに据えたわ。



自分を守ってくれた洪国栄に対しての最大限の配慮と信頼が感じ取れるね!でも、最終的には正祖の信頼を失った、ってあるからまさか…!



そう。権力の中心に立った洪国栄は次第に自身の権力欲に翻弄されて政治を私物化してしまうの。1778年に妹の元嬪洪氏(ウォンビンホンシ)を正祖の側室にして、外戚として政権を独占したわ。これが後の勢道政治の先駆けになったとも言われているの。



権力や富を手にすると人って変わってしまうんだよね。



正祖の母・恵慶宮が遺した「閑中録(ハンジュンロク)」によると元嬪洪氏が急死すると、正祖の正室・孝懿(ヒョウィ)王后 金氏がその死に関わっていたとして金氏暗殺を企てたともされているわ。



その後、ついに正祖からの信頼を失った洪国栄は流刑になり配流先で34歳の若さで病死してしまったんだって。
洪国栄(ホングギョン)が登場する作品一覧



正祖が登場するドラマに欠かせない人物で、主従を超えた信頼関係から、やがて歯車が狂っていく過程が描かれているわ。
ドラマ名 | 役者名 |
王道〜ワンド〜(91) | キム・ヨンチョル |
洪國榮(01) | キム・サンギョン |
イ・サン(07〜08) | ハン・サンジン |
風の絵師(08) | チョン・インギ |
ペク・ドンス(11) | チェ・ジェファン |
袖先赤いクットン(21) | カン・フン |
映画名 | 役者名 |
王の涙-イ・サンの決断-(14) | パク・ソンウン |