純宗(スンジョン/李坧)は朝鮮27代?最後の皇帝・妻・死因

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純宗(スンジョン、李坧/イ・チョク)は、朝鮮王朝の王統では27代に数えられ、大韓帝国では第2代・最後の皇帝です。1907年に父・高宗の退位後に即位し、1910年の韓国併合によって皇帝の地位を失いました。

純宗は「朝鮮27代王」と紹介されることがありますが、即位時の国号は大韓帝国で、正式な地位は皇帝でした。妻、在位、国権喪失、昌徳宮での晩年、1926年の死までを史実に沿って解説します。

前代の経緯は父・高宗の記事から続けて読むと分かりやすくなります。

目次

純宗(スンジョン/李坧)のプロフィール

大韓帝国最後の皇帝・純宗
項目史実
姓名李坧(イ・チョク)
生没年1874年〜1926年4月25日
地位朝鮮王朝の王統では27代、大韓帝国では第2代・最後の皇帝
在位1907年〜1910年
父母父は高宗、母は明成皇后
最初の妻純明孝皇后閔氏
2人目の妻純貞孝皇后尹氏
年号隆熙(ユンヒ)

純宗は朝鮮王朝27代王?最後の皇帝?

純宗は朝鮮王朝の王統を継ぐ27代の君主として数えられます。ただし朝鮮は父・高宗の時代の1897年に国号を大韓帝国へ改めていたため、1907年に純宗が即位したときの正式な地位は「大韓帝国皇帝」でした。

そのため「朝鮮最後の王」と「大韓帝国最後の皇帝」は、系譜と当時の国制という異なる見方を表します。歴代の順番は朝鮮王朝27代王の一覧で確認できます。

1907年の即位から1910年の韓国併合まで

1907年7月、日本の強制によって高宗が退位すると、純宗が第2代皇帝に即位して年号を隆熙としました。即位直後には第三次日韓協約によって統監の内政干渉が強まり、韓国軍も解散させられました。1909年には司法権も奪われ、国権はさらに制限されます。

1910年8月29日、韓国併合によって大韓帝国は消滅し、純宗は皇帝の地位を失いました。以後は「昌徳宮李王」とされ、昌徳宮で暮らしました。

純宗の妻は2人

最初の妻は閔氏で、のちの純明孝皇后です。1882年に世子嬪となりましたが、純宗の即位前の1904年に亡くなりました。1904年には尹氏、のちの純貞孝皇后が皇太子妃となり、1907年の即位後に皇后となりました。

純宗の最後と死因

純宗は韓国併合後も昌徳宮で暮らし、1926年4月25日に亡くなりました。韓国学中央研究院の人物項目では死亡日は確認できますが、具体的な病名は示されていません。根拠のない死因を断定せず、確認できる範囲では昌徳宮で亡くなったとするのが適切です。

参考:韓国民族文化大百科事典「純宗」

純宗(スンジョン)/李坧(イ・チョク)のドラマ作品

作品名(ドラマ)役者名
『明成皇后』ペク・スンウ
『マイ・プリンセス』アン・ネサン

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