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世宗(セジョン/李祹イ・ド、1397〜1450年)は、1418年から1450年まで在位した朝鮮王朝4代王です。訓民正音の創製、集賢殿を中心とする学問振興、天文・農業・医薬・音楽の整備、四郡六鎮による国土拡張を進めました。
父は3代王・太宗、母は元敬王后、王妃は昭憲王后、次の王は長男の文宗です。太宗の三男だった世宗が即位した理由、ハングルを作った目的、代表的な功績、家系図、登場ドラマを史実に沿って解説します。
朝鮮王朝4代王・世宗(イ・ド)は何をした?
| 確認点 | 史実 |
|---|---|
| 姓名 | 李祹(イ・ド)。王になる前は忠寧大君と呼ばれました。 |
| 生没年・在位 | 1397年〜1450年。在位は1418年〜1450年です。 |
| 父母 | 父は3代王・太宗、母は元敬王后です。 |
| 王妃・次の王 | 王妃は昭憲王后。長男が5代王・文宗です。 |
| 代表的な功績 | 訓民正音、集賢殿、科学技術、農業・医薬書、税制、四郡六鎮です。 |
| 陵 | 昭憲王后とともに眠る英陵。現在の京畿道驪州市にあります。 |
世宗の代表的な功績5つ
- 訓民正音の創製:民衆が自国語を記録しやすい文字を作り、1446年に解説書とともに公布しました。
- 集賢殿と編纂事業:若い学者を育て、政治・歴史・農業・医薬・音韻など幅広い書物を整備しました。
- 科学技術:蔣英実らを登用し、自撃漏、簡儀、日時計などの製作を進めました。
- 農政と税制:『農事直説』を編纂し、土地の等級と豊凶を考慮する貢法を整えました。
- 国土と国防:北方に四郡六鎮を置き、対馬遠征や火器・兵船の整備も進めました。
世宗の家系図:太宗の三男から王へ
当初の世子は長兄・譲寧大君でしたが、1418年に廃世子となりました。太宗は学問と政治判断を評価して三男の忠寧大君を世子に選び、約2カ月後に譲位しました。父の太宗、次代の文宗、後に7代王となる息子の世祖を続けて読むと王位継承が分かります。
世宗期の科学技術は蔣英実(チャン・ヨンシル)の記事で詳しく確認できます。参考:韓国民族文化大百科事典「世宗」
世宗(セジョン)/李祹(イ・ド)のプロフィール

| 姓名 | 李祹(イ・ド) |
| 生没年 | 1397年5月7日〜1450年5月18日 |
| 在位期間 | 1418年〜1450年 |
| 親族 | 父:第3代王・太宗 母:彰徳昭烈元敬王后(驪興閔氏) 妻:宣仁斉聖昭憲王后(青松沈氏)、他 息子:第5代王・文宗(ムンジョン)、第7代王・世祖(セジョ)他 |
略年表
| 1397年 | 朝鮮王朝第3代王・太宗と元敬王后の三男として誕生する。 |
| 1408年 | 昭憲王后沈氏と結婚する。 |
| 1418年 | 長兄の譲寧大君(ヤンニョンデグン)が廃世子され、自らが世子となる。 |
| 1422年 | 太宗が亡くなり、親政を開始する。 |
| 1436年 | 田税制度を定めるべく、貢法詳定所を設置する。 |
| 1436年 | 六曹直啓制(ユクチョチクケジェ)を議政府署事制(ウィジョンブソサジェ)に変更する。 |
| 1443年 | 訓民正音(=ハングル)を創る。 |
| 1450年 | 在位32年で亡くなる。 |
史実では
三男だった世宗が王になれたのは、太宗の長男・譲寧大君が問題行動で廃世子とされたためだが、譲寧大君の息子や次男の孝寧大君(ヒョリョンテグン)ではなく世宗が選ばれたのは、当時すでに世宗の天才的才能が際立っていたからだろう。
世宗は世子に冊封後、わずか2ヶ月で即位し、最初の4年は太宗が上王として君臨した。
世宗は太宗に逆らうことができず、太宗が世宗の義父・沈温(シムオン)を王権の脅威として粛清する時も止められなかった。
しかし1422年、太宗が死去し世宗の親政が始まると、驚くばかりの政治手腕を発揮。
自らが学術研究機関として再生させた集賢殿(チピョンジョン)の学者たちを中心に、科学、農業など各種分野の研究を進める一方、租税、刑法など諸制度を整備。
北方の国境地域に六つの鎮と四つの郡を設置して新たな国土を開拓し、太宗がつくり上げた王権中心の政治体制である六曹直啓制を議政府署事制に改編して、王権と臣権の調和を実現した。引用:韓国時代劇で学ぶ人物大辞典
こうして朝鮮は黄金期を迎え、世宗は民族の誇りとして現在も最大の尊敬を集めている。
なつき兄である譲寧大君が廃世子になった経緯は、この記事をチェックしてみてね!


分かりやすく解説



僕この人知ってるよ。ソウルの光化門広場に銅像があったよ!



よく気づいたわね。あと韓国の紙幣の10,000ウォン札に印刷されている人でもあるのよ。



お札になるなんて、よっぽどすごいことをしたんだね!



歴代27人の王の中で最も有名と言っても過言ではないわ。彼はハングルを創って広く国民に文字を普及させただけでなく、身分に関係なく優秀な人材を起用することで測量器の開発や印刷技術、火器や火薬の製造など技術的にも国を大きく発展させたのよ。



自分の代だけで、そんなにも偉業を成し遂げたんだね!すごいな。



そうよ。広場の台座には「세종대왕(世宗大王)」と書かれているわ。「大王」は世宗への敬称として広く使われていますが、功績の大きい王だけに制度上与えられる固有の称号という意味ではありません。



そうなんだ!それで今もお札になるほどみんなに尊敬されているんだね。
ハングルはどのようにして創られた?


ハングルが創られる前の朝鮮は、話し言葉をそのまま記録することができず毎回、漢文にして記録しなければなりませんでした。そのため、漢文法を知らない庶民には敷居が高く、読み書きのできない人が大半を占めていました。
世宗は1443年に訓民正音を創製し、1446年に解説書『訓民正音解例』とともに公布しました。
字形の由来には複数の研究説があり、パスパ文字の影響説もその一つです。影響関係を一説だけで断定せず、訓民正音の制字原理は『訓民正音解例』の説明を基準に見る必要があります。
世宗(セジョン)/李祹(イ・ド)の主な偉業
1、文字創製
最も重要な業績は訓民正音の創製です。世宗が主導し、崔恒・朴彭年・申叔舟・成三問らの学者が研究と解説書の編纂に協力しました。
2、自撃漏(チャギョンヌ)
自動で時刻を知らせる水時計で、蔣英実が製作を担当し、1434年に景福宮の報漏閣へ設置されて王朝の標準時計として使われました。原機がそのまま現存しているわけではありません。
3、簡儀(カニ)
中国由来の天体観測器。大小さまざまなものが作られ、景福宮(キョンボックン)・慶会楼(キョンフェル)などあちこちに設置されています。
4、日星定時儀(イルソンチョンシイ)
昼と夜にそれぞれ時刻を測定するために作られた器具。昼は太陽を観測して時間を計り、夜は星を頼りにしていました。1437年に計4つが作られましたが、実物は現存していません。
5、測雨器(チュグギ)
降雨量を測るための器具。朝鮮は古くから洪水が多く王都・漢城は5年に二度のペースで水害に見舞われていました。それまで天候は神任せでしたが、測雨器のおかげで初めて雨量の測定と分析が可能になりました。降雨量を観測した記録としては世界最古といわれています。
6、仰釜日晷(アンブイルグ)
日時計の一種で針と影で時を示します。さまざまな大きさのものがありますが、基本的には直径30〜40センチの球状にくぼんだ釜のような形をしています。くぼみの内側に節候線、時刻線などの線が記されていて時刻や立春、立冬などの節気がわかるようになっています。



自撃漏や測雨器、仰釜日晷など世宗の功績に大きく貢献した科学者・チャン・ヨンシルについて詳しく知りたい人は、次の記事も合わせて読んでみてね!


世宗(セジョン)/李祹(イ・ド)のドラマ作品
| 作品名(ドラマ) | 役者名 |
| 大王世宗(08) | キム・サンギョン/子役:イ・ヒョヌ |
| 根の深い木ー世宗大王の誓いー(11) | ハン・ソッキュ/青年期:ソン・ジュンギ |
| 六龍が飛ぶ(15) | ナム・ダルム |
| ポンダンポンダン 王様の恋(15) | ユン・ドゥジュン |
| チャン・ヨンシル〜朝鮮伝説の科学者〜(16) | キム・サンギョン |



世宗のドラマといえば、彼の生涯を真正面から取り上げた『大王世宗』は欠かせないわね。ちなみにこのドラマで世宗を演じたキム・サンギョンは、太宗役のキム・ヨンチョルとともに『チャン・ヨンシル』にも登場するのよ!



ドラマを超えて同じ役で登場するのは嬉しいね!



『根の深い木』ではハングル創製の過程と葛藤を描いていて、口汚く罵ったり、部下をからかう聖君らしからぬ世宗の一面が見られるわ。









