【朝鮮王朝13代】明宗(イファン)|母親に実権を握られ続けた王

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・明宗ってどんな人物だったの?
・母親との関係は?
・関連する重要人物は誰?どんな人だったの?

なつき

こんな疑問に答えていくよ!

悪女として名高い母・文定王后に実権を握られ続け、理想とする政治が行えないまま34歳という若さでこの世を去った明宗。

彼の周囲には、母親だけでなく富と権力に目が眩んだ人物らによる悪事が蔓延っていたのでした。

そこで今回は、「【朝鮮王朝13代】明宗(イファン)|母親に実権を握られ続けた王」と題し、明宗を取り囲んでいた周辺人物についてもご紹介していきます。

目次

明宗(ミョンジョン)/李峘(イ・ファン)のプロフィール

イ・ファン
姓名李峘(イ・ファン)
生没年1534年7月3日〜1567年8月2日
親族父:第11代王・中宗
母:文定王后(尹氏)
妻:宣烈懿聖仁順王后(青陵府院君)、他
異母兄:第12代王・仁宗(インジョン)、他
息子:李日頁(順懐世子)

略年表

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1534年中宗と文定王后尹氏の次男として生まれる。
1545年仁宗が急死し12歳で即位するが、尹元衡らが乙巳士禍(ウルササファ)を起こして大尹派を排除、朝廷を牛耳るようになる。
1553年親政を始める。
1555年己卯倭変(ウルミョウェビョン)が勃発する。倭寇が70隻の船舶で侵攻してくる。
1559年義賊の林巨正(イム・コッチョン)が文定王后一族による不正腐敗を正すために勢力を拡大する。
1567年34歳で亡くなる。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

※1己卯倭変(ウルミョウェビョン)とは
日本の海賊(倭寇)によって全羅南道海岸の霊岩郡・康津郡・珍島郡・莞島郡等が陥落された事件のこと。

※2義賊とは
国家などの権力者からは犯罪と目され、無法者とされながらも、大衆からは支持を集める個人や集団のこと。

分かりやすく解説

なつき

明宗は母・文定王后の企み通り(?)異母兄で第12代王・仁宗が死去した後、12歳で王となったの。若くして即位したことから、在位後8年間は母と母の弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)が国政を代行する摂政をしたそうよ。でも、国政代行が終了した後も、実権は母親が握っていたの。

はると

母は強しというか、なんというか…。悪女として有名なだけあるね。

なつき

明宗も自分の勢力を拡大しようとして、王后一族以外から人材を登用したりしたんだけど失敗に終わったの。結局、母親が亡くなるまでの20年もの間、摂政が続いたそうよ。母親が亡くなってからは尹元衡を追放して、公平な人材登用を目指すんだけど、母が亡くなってわずか2年後、34歳という若さで亡くなってしまうの。

はると

自分の目指す政治を思うように行えないまま死んでしまったんだね。

なつき

学問を好み、王の資質を備えていたとされる明宗が真っ当に政治を行えていたらどんな世の中になっていたのかな…って思わざるを得ないわね。

なつき

そして明宗の後に王位を継承するはずだった息子の李日頁も13歳で早死にしていたから、父である第11代王・中宗の九男である徳興君(トクングン)の三男・河城君(ハソングン)が14代王・宣祖(ソンジョ)になることになったのよ。

悪事を繰り返し明宗を操った悪女コンビ

なつき

明宗を語る上では外せない悪女2人の存在。それが母・文定王后とその弟・尹元衡の妻、鄭蘭貞 (チョン・ナンジョン)よ。

鄭蘭貞は朝鮮三大悪女の一人としても知られているわ。

12代王・仁宗が急死し12歳で即位するも、その幼さから後見として母・文定王后が政治を牛耳るようになりました。

ちなみに、仁宗は文定王后に毒殺されたというのが通説となっています。

文定王后は権力を使い実の弟・尹元衡を大出世させました。

一方で、尹元衡の妻・鄭蘭貞はその野心に満ちた性格から文定王后の手先となり共に悪事を繰り返しました。

こうした横暴を誰よりも悲しんだのは、心優しい明宗だったと言われています。

明宗(ミョンジョン)/李峘(イ・ファン)のドラマ作品

作品名(ドラマ)役者名
『不滅の李舜臣』ホン・リュニ
『林巨正ー快刀イム・コッチョン』イ・ヒョジョン
『女人天下』キム・ゴァンヨン
『天命』ソ・ドンヒョン
『魔女宝鑑』イ・デビット
『オクニョ 運命の女』ソ・ハジュン
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