朝鮮8代王・睿宗(イェジョン/イ・ファン)|在位14カ月・家族・最後

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朝鮮8代王・睿宗(イェジョン/イ・ファン)とは?

睿宗(イェジョン、李晄/イ・ファン、1450〜1469年)は朝鮮王朝8代王です。7代王・世祖の次男として生まれ、兄の懿敬世子が早世したため世子となり、1468年に19歳で即位しました。在位はわずか1年2カ月(約14カ月)で、20歳で亡くなっています。

項目史実
何代目?朝鮮王朝8代王
名前睿宗(イェジョン)、諱は李晄(イ・ファン)
生没年1450年〜1469年
在位1468年〜1469年(約14カ月)
父母父は7代王・世祖、母は貞熹王后
王妃章順王后、安順王后
次の王9代王・成宗

睿宗の家族と王位継承

最初の王妃・章順王后は、世祖の即位を支えた韓明澮(ハン・ミョンフェ)の娘です。睿宗の死後は幼い王子ではなく、兄・懿敬世子の次男だった乽山君が9代王・成宗として即位しました。このため睿宗は、世祖から成宗へ王権が移る過渡期の王と位置づけられます。

在位14カ月で何をした?

  • 1468年:職田の収租を国家が管理する職田収租法を定めました。
  • 1468年:南怡の獄が起こり、南怡らが処刑されました。
  • 1469年:三浦で倭人との私貿易を禁じました。
  • 農政:屯田を一般の農民が耕作できるようにし、土地利用の改善を図りました。
  • 法典:『経国大典』は完成段階まで進みましたが、睿宗在位中の頒布には至りませんでした。

朝鮮8代王・睿宗(イェジョン/イ・ファン)のプロフィール

項目史実
姓名李晄(イ・ファン)
生没年1450年〜1469年
在位1468年〜1469年(1年2カ月、約14カ月)
父母父は7代王・世祖、母は貞熹王后尹氏
王妃章順王后韓氏、継妃は安順王后韓氏
補佐した重臣韓明澮、申叔舟らの院相
陵昌陵

王妃の父でもある韓明澮、兄・懿敬世子の妻で次代の成宗を支えた仁粋大妃をあわせて読むと、睿宗を取り巻く家族と功臣の関係が整理できます。

睿宗は朝鮮王朝の何代目?在位は何年?

睿宗は朝鮮王朝8代王です。兄の懿敬世子が1457年に亡くなったため王世子となり、1468年9月7日に世祖から王位を継ぎました。在位は1年2カ月で、韓国学中央研究院の人物項目では19歳で即位し、20歳で亡くなったと説明されています。

短い在位で睿宗が行ったこと

院相に韓明澮・申叔舟を置いた

即位直後は世祖の遺命により、韓明澮や申叔舟らの重臣を院相として庶務の決定に参加させました。睿宗個人だけでなく、世祖期の功臣による補佐体制を含めて見る必要があります。

職田収租法と屯田の耕作

1468年には、現職官僚へ支給する職田から租税を取る職田収租法を定めました。1469年には各地の屯田を一般の農民が耕作できるようにし、三浦で行われていた倭人との私貿易を禁止しています。

『経国大典』は公布前だった

1469年には「天下図」と『武定宝鑑』が完成し、崔恒らが『経国大典』を提出しました。しかし睿宗の在位中には公布されず、次代の成宗期に完成へ進みました。

睿宗の死因と次の王

睿宗は1469年、在位1年2カ月で若くして亡くなりました。公的な人物項目には具体的な病名が記されていないため、死因を特定の病気と断定することはできません。

睿宗の死後は、兄・懿敬世子の次男である乽山君が9代王・成宗として即位しました。睿宗の幼い息子ではなく甥が選ばれたことで、仁粋大妃や功臣たちが次代の政治でも大きな影響力を持つことになります。

ドラマの睿宗と史実の違い

ドラマでは若い王と功臣の対立、王室内の感情が詳しく描かれますが、会話や事件の細部には創作があります。史実として確認できる軸は、世祖の次男、在位約14カ月、院相による補佐、職田収租法、成宗への王位継承です。

参考:韓国民族文化大百科事典「睿宗」

睿宗(イェジョン)/李晄(イ・ファン)の登場する主な作品

作品名(ドラマ)役者名
『韓明澮〜朝鮮王朝を導いた天才策士〜』(94)キム・ソンファン
『王と妃』(98)チュ・ミンジュン
『王と私』(07)ユ・ミンホ
『インス大妃』(11)ノ・ヨンハク
作品名(映画)
『王様の事件手帖』(17)イ・ソンギュン
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