【朝鮮王朝8代】睿宗(イファン)|政権を握られたまま19歳で亡くなった王

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・世祖の息子ってどんな人物だったんだろう…
・在位期間中に行った政策は?

なつき

こんな声に応えていくよ!

世祖の次男として生まれるも、早世した兄に代わり18歳で朝鮮王朝8代王に即位した睿宗。

成人でないという理由から母による朝鮮最初の垂簾聴政が行われ、まともに王権を使行できないまま、19歳という若さでこの世を去った睿宗の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は、「【朝鮮王朝8代】睿宗(イファン)|政権を握られたまま19歳で亡くなった王」と題しご紹介していきます。

目次

睿宗(イェジョン)/李晄(イ・ファン)のプロフィール

姓名李晄(イ・ファン)
生没年1450年1月14日〜1469年12月31日
親族父:第7代王・世祖
母:貞熹王后(坡平尹氏)
妻:章順王后(韓氏)、安順王后(韓氏)、他
息子:仁城大君、斉安大君、他

略年表

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1450年7代王・世祖と貞熹王后尹氏の次男として生まれる。
1457年兄の懿敬世子(桃源君)の病死により、世子に冊封される。
1468年世祖の譲位により18歳で即位する。貞熹王后が朝鮮最初の垂簾聴政を行う。
1468年職田収租法(チクジョンスジョポプ)を制定する。
1469年三浦での倭との私貿易を禁止する。
1469年19歳で亡くなる。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

豆知識:職田収租法(チクジョンスジョポプ)とは
官吏の経済力を弱化させて国家の財政を強化するために施行された法で、それまで現職官僚だけでなく、退職官僚と死んだ官吏の家族にも土地を支給していたんだけど、土地不足もあって現職官吏にだけに土地を支給して、なおかつ支給する土地も減らしたそうよ。

睿宗をわかりやすく解説

なつき

12歳離れた兄・桃源君が早くに亡くなったことで7歳で睿宗は世子になったのよ。

はると

7歳?!それってまだ今で言う小学校1年生とかでしょ?

なつき

そう。実際に王に即位したのは父である第7代王・世祖が亡くなってからだから1468年、つまり18歳の時ね。でも睿宗は若さに加え、病弱でとてもじゃないけど政務を行える状態ではなかったの。

はると

だとしたら、誰が代わりに政治を行ったの?

なつき

いい質問ね。父である世祖が生前に重臣であった韓明澮(ハン・ミョンフェ)らを指名して睿宗を支える制度「院相政(ウォンサンジェ)」を作っていたの。それと王が幼いときに王の母や祖母が代わりに政務を行う垂簾聴政、日本で言う摂政政治を行ったのよ。

はると

つまりは、国を動かしていたのは重臣やお母さんだった、ってことだね?

なつき

そういうことね。政局は不安定で武官らの勢力も強くなって謀反や事件も多発したそうよ。そんな中、睿宗は自らの手腕を発揮することなく病によって19歳の若さで急死してしまったの。

睿宗(イェジョン)/李晄(イ・ファン)の登場する主な作品

作品名(ドラマ)役者名
『韓明澮〜朝鮮王朝を導いた天才策士〜』(94)キム・ソンファン
『王と妃』(98)チュ・ミンジュン
『王と私』(07)ユ・ミンホ
『インス大妃』(11)ノ・ヨンハク
作品名(映画)
『王様の事件手帖』(17)イ・ソンギュン
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