【朝鮮王朝26代】高宗(イフィ)|国の滅亡に関わった悲劇の王

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・国の滅亡に関わったって、高宗の治世に一体何があったの?
・日本との関係は?

なつき

こんな疑問に答えていくね!

朝鮮26代王から大韓帝国の初代皇帝になるも、日本により退位させられた高宗。

国の滅亡に関わったと言われる所以や、日本との関係はどのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は、「【朝鮮王朝26代】高宗(イフィ)|国の滅亡に関わった悲劇の王」と題し史実に基づき、ご紹介していきます。

目次

高宗(コジョン)/李㷩(イ・フィ)のプロフィール

姓名李㷩(イ・フィ)
生没年1852年7月25日〜1919年1月21日
親族父:興宣大院君
母:驪興府大夫人(閔氏)
妻:明成皇后(閔氏)、他
息子:第27代王・純宗(スンジョン)、他

略年表

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1852年興宣大院君の次男として誕生する。
1863年12歳で朝鮮王朝第26代王に就く。成人後に親政を開始する。
1882年壬午軍乱(イモグルラン)が発生。12年後、日清戦争が勃発する。
1895年乙未事変(ウルミサビョン)で明成皇后閔氏が殺害される。
1897年国号を大韓帝国に改め、自ら初代皇帝に即位する。
1907年ハーグ密使事件に伴い強制退位させられる。
1919年68歳で死去。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

史実では

1863年、12歳で26代王に即位。父・興宣大院君が摂政として政治改革を進めるが、成人すると大院君を下野して親政を始める。しかし、実権は王妃・明成皇后閔氏一族が握っていた。


日本など列強国から開国を迫られた朝鮮は開化政策を取る。


そんな中、壬午軍乱により大院君が復権。閔氏が清に援軍を要請し反乱軍を鎮圧するが、清軍の朝鮮駐留を許す。すると金玉均(キム・オッキュン)らが危機感を募らせ甲申政変(カプシンジョンビョン)を起こすが、三日天下に終わる。


日本も邦人保護を口実に朝鮮へ軍隊を送り、1894年には日清戦争が勃発。日本が勝利し閔氏が暗殺されると、高宗はロシア公使館に逃げ込む。


1897年に国号を「大韓帝国」と改めて初代皇帝となるが、日露戦争で勝利した日本に息子・純宗(スンジョン)への譲位を迫られ、1910年の日韓併合から9年後、68歳で没した。

韓国時代劇で学ぶ人物大辞典

分かりやすく解説

なつき

この時代になると写真として人物が残るようになるのよね。なんだか急に親近感が湧いちゃうわ。この写真は日本の大礼服(最上級の正装)を着た高宗よ。

はると

本当だね。で結局のところ、朝鮮が滅亡へと進んでいってしまったのは開国が原因だったの?

なつき

そうね。一概には言えないけど、外国勢力に頼りすぎる主体性のなさがかえって国内の混乱を招き、国を失う悲劇へとつながったとされているわ。

高宗(コジョン)/李㷩(イ・フィ)のドラマ作品

作品名(ドラマ)役者名
『明成皇后』イ・ジヌ/少年期:イ・ジュン
『炎のように蝶のように』キム・ヨンミン
『済衆院』チェ・ジョンファン
『朝鮮ガンマン』イ・ミヌ
『Dr.JIN』イ・ヒョンソク
『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』ペク・ユンシク
『ミスター・サンシャイン』イ・スンジュン
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