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仁宗(インジョン、李峼/イ・ホ)は朝鮮王朝12代王で、1544年に即位して約8カ月後の1545年に31歳で亡くなった王です。父は11代王・中宗、母は章敬王后、王妃は仁聖王后でした。
短い在位中にも、趙光祖らの名誉回復や賢良科の復活を進めています。死因は公的な人物解説では病状悪化とされ、文定王后による毒殺を確定した史料は示されていません。
王位の前後は11代王・中宗、13代王・明宗を続けて読むと整理できます。
仁宗(インジョン/イ・ホ)のプロフィール

| 項目 | 史実 |
|---|---|
| 姓名 | 李峼(イ・ホ) |
| 生没年 | 1515年〜1545年 |
| 在位 | 1544年〜1545年(約8カ月) |
| 父母 | 父は11代王・中宗、母は章敬王后 |
| 王妃 | 仁聖王后(朴氏) |
| 子供 | 仁聖王后にも後宮にも子供はいませんでした。 |
| 次の王 | 異母弟の13代王・明宗 |
前後の王と宮廷背景は、中宗、文定王后、明宗の順に読むと分かりやすくなります。王妃の位置づけは朝鮮王朝の王妃一覧でも確認できます。
仁宗の在位はなぜ8カ月だけだった?
仁宗は1520年に世子となり、約25年間を後継者として過ごした後、父・中宗の死を受けて1544年に即位しました。しかし翌1545年に病状が悪化し、異母弟の慶源大君、のちの明宗へ王位を譲って31歳で亡くなりました。
即位から死去までが約8カ月だったため、仁宗は朝鮮王朝27代の中で在位が最も短い王として知られます。資料によって「8カ月」「9カ月」と表現が分かれるのは、月の数え方による違いです。
仁宗の死因と毒殺説
韓国学中央研究院の仁宗の人物項目では、1545年に病状が重くなり、明宗へ王位を譲った後に景福宮で亡くなったと説明されています。具体的な病名は記されていません。
文定王后が仁宗を毒殺したという説はドラマや逸話で広く知られていますが、今回確認した公的な人物解説は毒殺を確定史実としていません。したがって「文定王后が毒殺した」と断定せず、病状悪化という確認できる範囲と後世の説を分けて考える必要があります。
短い在位で仁宗が行ったこと
仁宗は、1519年の己卯士禍で失脚した趙光祖らの名誉を回復し、廃止されていた賢良科を復活させました。長い世子時代に学問を重ね、倹約と孝行を重んじた人物として伝えられています。
仁宗の王妃と子供
正妃は仁聖王后朴氏です。1524年に世子嬪となり、1544年に仁宗の即位とともに王妃になりました。仁宗の死後は王大妃となり、1577年まで生きました。
仁聖王后との間に子供はなく、公的な仁聖王后の解説では他の後宮にも後継者がいなかったとされています。そのため仁宗の死後は異母弟の明宗が13代王に即位しました。
仁宗(インジョン)/李峼(イ・ホ)のドラマ作品
| 作品名(ドラマ) | 役者名 |
| 『女人天下』 | チョン・テウ |
| 『新・伝説の故郷〜李王朝暗史〜』 | キム・ヨンジェ |
| 『天命』 | イム・スロン |
