【朝鮮王朝5代】文宗(イヒャン)|病弱ながらも父・世宗を支えた王

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・偉大な王・世宗の息子ってどんな人物だったの?
・文宗が登場する作品が知りたい!

なつき

こんな声に応えていくよ!

世宗の長男で、勤勉かつ人望の厚い後継者であった5代王・文宗。

しかし、即位からわずか2年3ヶ月で息子を残して病死した彼の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は「【朝鮮王朝5代】文宗(イヒャン)|病弱ながらも父・世宗を支えた王」と題し、ご紹介していきます。

目次

文宗(ムンジョン)/李珦(イ・ヒャン)のプロフィール

イ・ヒャン
姓名李珦(イ・ヒャン)
生没年1414年11月15日〜1452年6月1日
親族父:第4代王・世宗
母:宣仁斉聖昭憲王后(青松沈氏)
妻:仁孝順恵顕徳王后(安東権氏)、他
息子:第6代王・端宗(タンジョン)、他

略年表

1414年世宗と昭憲王后沈氏の長男として生まれる。
1421年8歳で世子に冊封される。
1427年14歳で金五文の娘と結婚。
1441年世子嬪が息子(のちの端宗)を産み、3日後に死去。
1445年世宗に代わり本格的な摂政を開始。
1450年世宗が死去し、37歳で即位。
1452年39歳で死去。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

文宗を分かりやすく解説

なつき

文宗は世宗の長男で学問や算術、天文にも優れた心優しい性格だったと言われているわ。病に伏した父の代わりに28歳の時から決裁権を与えられて王になるまでの8年間、政治に関わっていたの。

はると

その間に文宗は政治を学んで、父王の功績に貢献した、ってことだね。

なつき

その通りよ。でも、王に就く前の世子時代に長年にわたり政治に関与していたことで王権が弱まってしまったの。そのせいで力を付けた世祖(セジョ)ら弟たちとの間で権力争いが起ったのよ。結局、もともと体の弱かった文宗は王に即位後2年3ヶ月で病に倒れ、息子の端宗(タンジョン)に王の座を託すことになったの。

はると

2年3ヶ月しか王でなかったってことは、若くして亡くなったんだね。

なつき

ええ。38歳でこの世を去ったの。息子の端宗はまだ11歳と幼かったから、金宗端(キムジョンソ)や皇甫仁(ファンボイン)ら臣下に端宗を守るよう遺言を残したそうよ。父としてまだ側で成長を見守っていたかっただろうに…。

文宗(ムンジョン)/李珦(イ・ヒャン)の登場する主な作品

なつき

世宗や世祖という歴史をにぎわせた王に挟まれたうえ、在位期間も短かったから、どうしても登場シーンは少ないわ。そしてそのほとんどが病弱な姿をしているの。

作品名(ドラマ)役者名
『王と妃』(98〜00)チョン・ムソン
『大王世宗』(08)イ・サンヨプ
『王女の男』(11)チャン・ドンファン
『インス大妃』(12)ソヌ・ジェドク
『チャン・ヨンシル〜朝鮮伝説の科学者〜』(16)ハン・ジョンウ
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