仁祖(インジョ)はなぜ最悪の王?三田渡の屈辱と生涯を解説

  • URLをコピーしました!

仁祖(インジョ)は、1623年の仁祖反正で光海君を追放して即位した朝鮮王朝第16代王です。王号の読みは「インジョ」、本名の李倧は「イ・ジョン」。二度の侵攻と三田渡での降伏を経験したため、「最悪の王」「屈辱王」と検索されることが多い人物です。

目次

仁祖(インジョ)が「最悪の王」と呼ばれる3つの理由

  • 政変後の混乱:仁祖反正の翌年に李适(イ・グァル)の乱が起こり、政権が早くも揺らぎました。
  • 二度の侵攻:1627年の丁卯胡乱、1636年から1637年の丙子胡乱で国土と民衆が大きな被害を受けました。
  • 三田渡の降伏:1637年1月30日、清太宗ホンタイジに降伏し、昭顕世子と鳳林大君を人質として送ることになりました。

ただし「最悪の王」は正式な呼称ではなく、後世から見た評価です。この記事では、光海君を追放した背景、清との戦争、孝宗へ続く王統、仁祖が登場するドラマを時系列で整理します。

仁祖(インジョ)/李倧(イ・ジョン)のプロフィール

イ・ジョン
李倧(イ・ジョン)
生没年1595年12月7日〜1649年6月17日
在位期間1623年〜1649年
親族父:定遠君(チョンウォングン)/元宗(ウォンジョン)
母:仁献王后
妻:仁烈王后(韓氏)、荘烈王后(慈懿大妃)、廃貴人趙氏、貴人張氏、他
息子:昭顕(ソヒョン)世子、第17代王・孝宗(ヒョジョン)、他

略年表

スクロールできます
1595年定遠君(14代王・宣祖の五男)の長男として誕生する。
1615年弟の綾昌君(ヌンチャングン)を殺され、反正(パンジョン)を計画する。
1623年仁祖反正を決行し、朝鮮王朝16代王となる。
1624年李适(イグァル)の乱が起こる。
1627年丁卯胡乱(チョンミョホラン)が勃発する。
1633年常平通宝(サンピョントンボ)を鋳造する。
1637年丙子胡乱(ピョンジャホラン)で清に降伏する。
1645年長男の昭顕世子が清から帰国するが、2ヶ月後に急死する。
1649年55歳で亡くなる。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

史実では

西人派(ソインパ)の支援により仁祖反正を起こして15代王の光海君を追放した綾陽君(のちの仁祖)は、王に即位するが、彼の父は、14代王・宣祖の五男の定遠君だ。光海君の異腹の甥で嫡流ではない。


反正により北人派(プギンパ)の勢力は崩壊、政権は西人派に移る。


当時の中国では明が退潮し後金(清)が勃興していた。光海君は明と後金の中立外交で手腕を発揮したが、仁祖は親明排金政策で後金を敵視。


さらに論功行賞をめぐって李适の乱が勃発、首謀者の子らが後金に支援を求めたことで清に侵攻の口実を与え、2度にわたる侵攻(丁卯胡乱、丙子胡乱)を受ける


仁祖は南漢山城(ナマンサンソン)で籠城したが、1637年に三田渡(サムジョンド)で清の太宗ホンタイジに屈辱的な降伏を余儀なくされる


莫大な賠償金を課せられたうえ、昭顕世子や鳳林大君(ポンニムテグン)ら王子が人質に捕らわれた。その間、王朝後期唯一の貨幣「常平通宝」を鋳造させたが、失墜した権威は回復しなかった


8年後、身柄を解放された昭顕世子が帰国したが、仁祖は清に融和的な昭顕世子を毛嫌いし、不仲に。世子が急死した4年後、55歳で死去。

韓国時代劇で学ぶ人物大辞典

分かりやすく解説

なつき

仁祖は、弟を亡き者にされた怨みから第15代王・光海君へのクーデターを決意して、同志とともに王の座から追放したの。そして自らが第16代王となったのよ。ここまでは良かったんだけどね…。

はると

ここまでは、ってどういうこと?

なつき

即位後は、一緒にクーデターを起こした同志に反乱を起こされたり、“辺境の蛮族”として蔑んでいた後金(のちの清)に国防をおろそかにしていたが為に攻め入られて、漢江のほとりで王自らが三跪九叩頭の礼(3回ひざまずいて9回頭を地面にこすりつける)で降参する羽目になったの。

はると

王様自らが?!それは屈辱的だっただろうね。

なつき

降伏後、朝鮮は清と君臣関係を結び、明との国交を断つことになったの。仁祖の長男・昭顕世子と次男・鳳林大君(のちの孝宗)は人質として清の瀋陽へ送られたのよ。

ドラマでは

なつき

仁祖の時代は、反正、内乱、二度の胡乱が続き、民衆も大きな被害を受けたの。こうした世情を背景に、ドラマでは宮廷の権力争いと庶民の苦難が重ねて描かれることが多いわ。

はると

そうだったんだ。なんかここまで散々な結果の王様だと可哀想になるね。

なつき

そうね。仁祖の時代には多くのイベントがあったからドラマに描かれることも多いわ。個人的には、清の皇帝への屈辱的な敗北を認めるシーンや「良い王になりたかった」と本音を吐露する場面がある『華政(ファジョン)』の憐れな仁祖が印象的だったわ。

仁祖(インジョ)/李倧(イ・ジョン)の豆知識

丙子胡乱の終戦講和条約となった“三田渡の盟約”

1637年1月30日、仁祖は漢江南岸の三田渡にある清軍陣営に出向き、清太宗ホンタイジの前で三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼を行い、降伏しました。三田渡の盟約では、「清に対して君臣の礼をとる」「王子たちを人質として清に送る」「明との国交を絶つ」「明討伐の際に援軍を送る」「黄金百両、白金千両などを毎年上納する」という要求を突きつけられ、朝鮮は受け入れざるを得ませんでした。

清と朝鮮の君臣関係はこれ以降、1895年の日清戦争で清が敗北するまで続きました。

明への義理を重んじる政策と、台頭する清への現実的な対応を両立できなかったことが、仁祖の治世を厳しく評価する大きな理由になっています。

昭顕世子は父親・仁祖に嫌われ、亡き者に?!

朝鮮が清に降伏したことで、弟2人とともに清に送られた昭顕世子。しかし、彼にとって清での生活は辛いものではなく、西洋の文化に触れられる刺激的な日々でした。

朝鮮に帰国後、清での生活を生き生きと話す姿に、清に対して恨みを抱いていた仁祖は憤慨。以降、昭顕世子は仁祖に冷遇されるようになりました。

そして、帰国からわずか2ヶ月で昭顕世子が急死したため、仁祖によって毒殺されたという噂が立ちました

仁祖(インジョ)/李倧(イ・ジョン)の登場する主な作品一覧

作品名(ドラマ)役者名
一枝梅~イルジメ〜(08)キム・チャンワン
推奴〜チュノ〜(10)キム・ガプス
馬医(12)ソヌ・ジェドク
花たちの戦い〜宮廷残酷史〜(13)イ・ドクファ
三銃士(14)キム・ミョンス
華政(15)キム・ジェウォン
天命の城(17)パク・ヘイル

仁祖反正と清への屈辱を理解する関連記事

仁祖の時代は、光海君を追放した仁祖反正から始まり、清への降伏と昭顕世子の悲劇へ続きます。光海君期から流れを追うなら、貞明公主、仁祖の子である孝宗も合わせて読むと、政変後の王室の緊張が分かりやすくなります。

ドラマで理解する場合は、仁祖期に近い医療時代劇として『馬医』、王朝全体の流れを整理する朝鮮王朝の歴代王まとめも関連導線になります。

目次