この記事では、権力に対する悪なく執念で大妃となり、類稀なる政治手腕で頂点に君臨した女性、仁粋大妃についてまとめています。
・仁粋大妃ってどんな人?
・さまざまなドラマで図太い女性として描かれているけど実際はどうだったの?
・仁粋大妃が登場する作品を知りたい!
こんな疑問に答えていくよ!
9代王・成宗の母で、10代王・燕山君の祖母である仁粋大妃。
権力に執着し、宮廷に居座ることにこだわり続けた“女帝”は一体、どのような人生を歩んできたのでしょうか。
そこで今回は、「仁粋大妃(インステビ)|権力に対する執着心から女帝に君臨した女性」と題しご紹介していきます。
仁粋大妃(インステビ)のプロフィール
名 | 仁粋大妃 韓氏(インステビ ハンシ) |
生没年 | 1437〜1504年 |
配偶者 | 懿敬世子(ウィギョンセジャ) |
息子 | 月山大君(ウォルサンデグン)、朝鮮王朝9代王・成宗 |
孫 | 朝鮮王朝10代王・燕山君、朝鮮王朝11代王・中宗 |
略年表
1437年 | 韓確(ハンファク)の末娘として誕生する。 |
1450年 | 首陽大君(スヤンテグン)の長男と結婚する。 |
1455年 | 首陽大君が世祖に即位し、夫は懿敬世子、自身は粋嬪になる。 |
1468年 | 早世した懿敬世子の弟が朝鮮王朝8代王・睿宗(イェジョン)として即位する。 |
1469年 | 次男が朝鮮王朝9代王・成宗として即位する。自身は仁粋大妃になる。 |
1475年 | 「内訓(ネフン)」を刊行する。 |
1494年 | 孫の燕山君が朝鮮王朝10代王として即位する。 |
1504年 | 燕山君の暴力が原因で亡くなる。 |
分かりやすく解説
仁粋大妃の実家である清州韓氏は朝鮮建国当初から多くの人材を輩出した名門で、仁粋大妃が生まれた当時もかなりの権力を誇っていたそうよ。特に、仁粋大妃の父親の韓確は、姉が明の皇帝の側室となって寵愛を受けたことから、韓確も明の官位を与えられるなど明との強い繋がりがあったんだって。
そうだったんだ〜。これだけ最強の家柄なら王族も欲しいってわけだ。
ええ。まさにその通りで、王座を狙う首陽大君にとっては非常に有用で、長男・桃源君(トウォングン)と仁粋大妃の結婚はそうした計算のもとで進められたと考えられているわ。
政略結婚だね。
やがて首陽大君が世祖となり、桃源君は懿敬世子に冊封されるんだけど、わずか2年後に懿敬世子が病で急逝し、仁粋大妃は王妃になる道を絶たれて王宮を追われることになったの。
その後、仁粋大妃はどうなったの?!
韓明澮(ハンミョンフェ)と組んで次男を王位に就けることに成功し、自身も大妃となって王宮に返り咲いたわ。仁粋大妃は儒教教典に精通していて、政治にも感心が高く、成宗から燕山君代にわたって強力な発言権を持ったわ。
すごいね…。裏で政治を操っていたんだね。
でも、成宗の王妃となった尹氏と仲が悪く、彼女を廃位に追い込んで死なせたことから燕山君の恨みを買い、彼の頭突きを食らった衝撃で死んでしまったの。
なんという最期なんだ…。
仁粋大妃(インステビ)が編纂した「内訓」とは
「内訓(ネフン)」とは、王室女性が守るべき儒教的徳目をまとめた書物で、1475年に編纂された。王室の年長者として王室女性たちの教育の必要性を感じた仁粋大妃が教材として作った。全7章で構成されており、構成は以下の通りとなっている。中でも4章に記載されている妻の役割の重要性を強調している。
今から500年以上前に書かれたものだけど、今の私にも響いてくるわ。妻の役割の重要性…。心得ないとね。
仁粋大妃(インステビ)の登場する主な作品一覧
ドラマ名 | 役者名 |
王と妃(98) | チェ・シラ |
王と私(07) | チョン・インファ |
インス大妃(11) | チェ・シラ / ハム・ウンジョン |
逆賊~民の英雄 ホンギルドン~(17) | ムン・スク |
仁粋大妃といえばチェ・シラね。5代王・文宗から10代王・燕山君の死まで50年を描いた大河ドラマ『王と妃』で仁粋大妃を演じているんだけど、王や他の主要人物に負けない圧倒的な存在感を放っているわ。
そうなんだ!
若い頃の仁粋大妃が見たいなら『インス大妃』ね。ガールズグループTーARAのハム・ウンジョンが瑞々しく演じているわ。ちなみに、ここでもまた晩年の仁粋大妃をチェ・シラが演じているの。