【朝鮮王朝14代】宣祖(イヨン)|日本軍からの侵入と党争いで苦労した王

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・イ・スンシンが活躍したのも宣祖の時代だったよね?
・日本軍からの侵入って?その時の日本の武将は誰?
・宣祖はどんな生涯を送ったの?

なつき

こんな疑問に答えていくよ!

文治主義を掲げるも、2度にわたる日本からの攻撃で都落ちという逃げ恥をさらした14代王・宣祖。

その裏で活躍し、今なお朝鮮の英雄として語り継がれるイ・スンシンとは…?

そこで今回は、「【朝鮮王朝14代】宣祖(イヨン)|日本軍からの侵入と党争いで苦労した王」と題し、当時の日本との戦やそこで活躍した名将についても触れながら、宣祖の生涯について詳しくご紹介していきます。

目次

宣祖(ソンジョ)/李昖(イ・ヨン)のプロフィール

イ・ヨン
姓名李昖(イ・ヨン)
生没年1552年12月26日〜1608年3月17日
親族父:徳興大院君(第11代王・中宗の3番目の息子)
母:河東府大夫人鄭氏
祖父:第11代王・中宗
妻:懿仁王后(朴氏)、仁穆王后(金氏)、恭嬪金氏、他
息子:臨海君(イメグン)、第15代王・光海君(クァンヘグン)、他
娘:貞明公主、他

略年表

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1552年朝鮮王朝第13代王・明宗の異母兄・徳興君の三男として誕生。
1567年第14代王に15歳で即位。
1568年親政を開始。
1590年日本に通信使(使者)を送る。
1592年壬辰倭乱(文禄の役)で豊臣秀吉軍が侵攻。
1597年丁酉再乱(慶長の役)が勃発。
1608年57歳で亡くなる。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

史実では

13代王・明宗の異母兄・徳興君の三男。明宗の嫡子が13歳で夭折(若くして亡くなること)した為、朝鮮王朝で直系でなく傍系の王として初めて15歳で即位した。このことは宣祖本人も気に病み、後継者指名の際に問題となったという。


朱子学奨励に注力し、朝廷を牛耳っていた勲旧(フング)派を退けて知識集団の士林(サリム)派の完了を登用していくが、士林派はやがて東人(トンイン)派と西人(ソイン)派に分裂、更には東人は急進的な北人(ブギン)派と穏健な南人(ナミン)派に分かれた新たな党争が始まる。


正常不安定により国力が弱体化する中、1592年に壬辰倭乱(文禄の役)、1597年に丁酉再乱(慶長の役と2度にわたり豊臣秀吉の侵攻を受ける。


侵略を許した裏側では、実は、朝廷が事前に使者を送り日本の様子を調査させていた。西人派は戦争の可能性あり報告し、東人派はなしと主張。朝廷は当時優勢だった東人派の主張を受け入れた結果、豊臣軍の侵略を許すことに。


結局、秀吉の死による日本軍の撤退まで6年7ヶ月にわたり戦争が続いた。宣祖は戦禍の後始末をできないまま57歳でこの世を去った。

韓国時代劇で学ぶ人物大辞典

宣祖を分かりやすく解説

なつき

伯父で第13代王・明宗の後を継いで即位した宣祖は儒学に重きをおき、経典の刊行に尽力したり、儒学者を重用したそうよ。でもこのことで、配下の官僚たちの間で思想の対立や政治的対立が起きたとされているわ。

はると

そもそもなんで、宣祖は儒学にこだわったの?

なつき

いい質問ね。本来なら王(世子/国王の正式な後継者)は正室の子どもから選ばれるはずなの。でも第13代王・明宗の一人息子はわずか13歳で亡くなってしまっていたから、側室の子どもから選ぶことになったの。そうして即位したのが宣祖だったのよ。

なつき

彼は、自分が正室の子どもではないことに劣等感を感じていたの。そこで、誰からも批判されることのないよう、儒教的な価値観に基づく王道政治を遂行しようとして儒学を重んじたとされているわ。

はると

そうだったんだ。

なつき

そして、1592年からは豊臣秀吉ら日本軍からの侵入を受けて壬辰倭乱(イムジンウェラン)・丁酉再乱(チョンユジェラン)、日本でいう文禄・慶長の役が勃発したの。この戦で、都の漢陽(ハニャン/現在のソウル)を陥落された宣祖は真っ先に都を捨てて逃げてしまうの。このことが国民からの怒りを買って庶民から恨まれたそうよ。

はると

そりゃそうだよ。宣祖…。確か、文禄・慶長の役は秀吉の死によって日本軍が撤退したことで終わったんだよね。

なつき

そう。この戦いによって国家財政が危うくなった宣祖が食料調達のために、穀物や金を朝廷に提出した民に恩恵を与える制度を定めたことで賤民が平民になったりとこれまでの伝統的な身分制度が崩壊したそうよ。日本の江戸幕府に最初の朝鮮通信使を派遣したことでも有名ね。後に世界遺産となった医書「東医宝鑑(トンイボガム)」の編集を医師のホ・ジュンに命じたのも宣祖なの。

なつき

ホジュンについては別記事で詳しくまとめているから、気になる人はチェックしてみてね!

日本の武将と戦った朝鮮の英雄・李舜臣(イ・スンシン)

なつき

イ・スンシンは、豊臣秀吉らによる朝鮮侵略を迎え撃ったことで知られる朝鮮水軍の将軍よ!壬辰・丁酉の倭乱(文禄・慶長の役)で朝鮮の危機を救った“救国の英雄”と呼ばれているの。彼についての詳細は下記の記事をチェックしてね!

宣祖(ソンジョ)/李昖(イ・ヨン)の登場する主な作品

作品名(ドラマ)役者名
ホジュン 宮廷医官への道(99)パク・チャンファン
不滅の李舜臣(04〜05)チョ・ミンギ/チェ・チョロ
ホジュン〜伝説の心医〜(13)チョン・ノミン
火の女神ジョンイ(13)チョン・ボソク
王の顔(14)イ・ソンジェ
軍師リュ・ソンリョン〜懲毖録(ジンビロク)〜(15)キム・テウ
華城(15)パク・ヨンギュ
魔女宝鑑(16)イ・ジフン
医心伝心(17)チョ・スンヨン
なつき

宣祖が都を捨てるという逃げ恥をさらしたことで、暴徒化した民衆が景福宮など王宮や役所に火を放った史実が、「ホジュン 宮廷医官への道」「不滅の李舜臣」「医心伝心」など多くのドラマで描かれているわ。

はると

他には他にはー??

なつき

「華城」や「王の顔」では、自分に代わって国と民を守った光海君に民からの信頼が集まることに嫉妬心をたぎらせたり、「魔女宝鑑」では、傍系ゆえに臣下たちから軽んじられていると猜疑心の塊となる情けない王として登場したりしているわ。

はると

なるほどね!ちなみに一押しの作品は?

なつき

私は「王の顔」ね。宣祖役のイ・ソンジェ、光海君役のソ・イングクと王権と愛をめぐる緊張感のある心理戦が凄く面白かったわ!!!

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