【朝鮮王朝7代】世祖(イユ)|王位を略奪した罰を受けた王?!

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・どんな経緯で王位を略奪したの?
・受けた罰ってなに?
・世祖の生涯について知りたい!

なつき

こんな声に答えていくよ!

まだ幼かった甥の6代王・端宗から王位を奪い、庶民にまで格下げしたのち命を奪った世祖。

一方で、王権強化を果たした王として評価されている彼の生涯は一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は、「【朝鮮王朝7代】世祖(イユ)|王位を略奪した罰を受けた王?!」と題しご紹介していきます。

目次

世祖(セジョ)/李瑈(イ・ユ)のプロフィール

イ・ユ
姓名李瑈(イ・ユ)
生没年1417年11月2日〜1468年9月23日
親族父:第4代王・世宗
母:宣仁斉聖昭憲王后(青松沈氏)
妻:貞熹王后(坡平尹氏)、他
息子:桃源君、第8代王・睿宗(イェジョン)、他

略年表

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1417年4代王・世宗と昭憲王后沈氏の次男として生まれる。
1428年尹璠の娘と結婚する。
1452年甥の端宗が6代王として即位する。
1453年癸酉靖難(ケユジョンナン)を起こして、政権を掌握する。
1455年端宗に譲位を強要し、自らが7代王として即位する。
1456年端宗復位運動の関係者を処刑し、端宗を魯山君(ノサングン)に降格して自害を迫る。
1468年世子である次男の海陽大君(のちの睿宗)に譲位し、その翌日、51歳で亡くなる。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

豆知識:癸酉靖難(ケユジョンナン)とは
6代王・端宗の即位1年後の1453年10月に、幼い国王の叔父にあたる首陽大君(後の世祖)が、韓明澮(ハン・ミョンフェ)らと手を組み端宗を補佐する大臣を亡き者にして政権を奪取した宮廷クーデター事件のこと。

なつき

韓明澮(ハン・ミョンフェ)について気になる人は次の記事も一緒に見てみてね!

分かりやすく解説

はると

この人がまだ幼かった端宗から王位を奪ったやつだね。

なつき

そう。端宗の父でイ・ユの実の兄、第5代王・文宗とは正反対の性格で大胆不敵だったと言われているわ。首陽大君(スヤンデグン)と言えば、聞いたことのある人も多いんじゃないかしら。

はると

首陽大君…。聞いたことあるような…。

なつき

イ・ユは王になると自身に反発する勢力を封じ込め王権を強化していったのよ。政治においても中央集権制や大臣たちが全ての業務を王に報告する「六曹直啓制(ユクジョチッケジェ)」を復活させたりと独裁色が強い王だったの。晩年にはひどい皮膚病に侵されて、次男の睿宗に譲位した翌日に亡くなったとされているわ。

はると

病気で苦しんで亡くなったんだね。きっと子どもだった端宗から王位を奪って毒殺した罰を受けたんだね。

なつき

そうかもしれないわね。イ・ユの2人の息子(桃源君、睿宗)も早死したそうよ。

はると

世代を超えて罰を受けた、ってことかもね。

世祖(セジョ)/李瑈(イ・ユ)の登場する主な作品

作品名(ドラマ)役者名
『大王世宗』ソ・ジュニョン
『王女の男』キム・ヨンチョル
『王と妃』イム・ドンジン
『王と私』キム・ビョンセ
『死六臣』チェ・ボンシク
『インス大妃』キム・ヨンホ
『観相師(かんそうし)』イ・ジョンジェ
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