・チャン・ヨンシルの生い立ち・発明品が知りたい!
・どんな最期を迎えたの?チャン・ヨンシル失脚事件の真相は?
・ドラマと史実の違いは?
こんな声に応えていくよ!
レオナルド・ダ・ヴィンチやニコラウス・コペルニクスらよりも早く天文に関して“科学的”にアプローチし、当時の朝鮮の科学を世界最高水準にしたと言われるチャン・ヨンシル。
そんな彼の生い立ちや、ベールに隠された最期とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は「チャン・ヨンシル|世宗大王に重用された朝鮮随一の天才科学者」と題し、ご紹介していきます。
チャン・ヨンシルのプロフィール
名前 | 蔣英実(チャン・ヨンシル) |
生没年 | 不詳 |
職業 | 科学者 |
チャン・ヨンシルが活躍した世宗大王の時代について知りたい人は、「【朝鮮王朝4代】世宗(イド)」の記事も一緒に読んでみてね!チャン・ヨンシルの発明品についても詳しく紹介しているわ!
略年表
1390年頃 | 中国出身の父と妓生の母の間に生まれる。 |
1421年 | 天文観測器について学ぶため明に派遣される。 |
1423年 | 奴婢の身分から解放され、尚衣院の別坐(従六品)に任命される。 |
1434年 | 仰釜日晷(アンブイルグ)、自撃漏(チャギョンヌ)製作。 |
1438年 | 玉漏を製作。 |
1441年 | 測雨機、水標を製作。 |
1442年 | 世宗のために製作した輿が損壊し、罷免される。 |
チャン・ヨンシルを分かりやすく解説
出生の記録はないんだけど、一説によるとお父さんは高麗の王室に仕えていた高官だったそうよ。朝鮮へと王朝が交代したで、迫害を受けて奴婢の身分に落とされたんだとか。その時に、お母さんも妓生にされたそうよ。
そうなんだ。でもどうやって最下層の身分から王様に重用される科学者にまで上り詰めたの?
ヨンシルは、幼い頃から観察力に優れていて、農機具や武器などの修理・製作にずば抜けた才能を発揮していたの。この噂を聞きつけた3代王・太宗が彼を宮殿に呼び寄せて技術者として働かせ始めたそうよ。
じゃあ、ヨンシルは太宗、世宗と2代にわたって科学技術の発展に寄与していたってことだね!
そうなるわね!科学を重視し、優秀な人材を集めていた世宗も彼に着目して、こっそり中国に送って科学技術を学ばせたそうよ。
彼の確かな才能が身分を超えて認められたんだね!
ええ。でも1442年に、ヨンシルの指導下で製作された世宗の輿が壊れる事件が発生したの。この事件によってヨンシルは杖で背中や臀部を叩かれる杖刑に処されたのち、罷免されてしまったわ。
この事件は、総責任者は処罰を免れるなど不審な点も多くて、チャン・ヨンシル失脚の謎と言われているわ。以降、彼に関する記録は途絶えていて、“朝鮮随一の天才科学者“とまで言われたヨンシルの最期はベールに包まれたままなの。
チャン・ヨンシルの登場する主な作品
作品名(ドラマ) | 役者名 |
大王世宗(08) | イ・チョニ |
チャン・ヨンシル 〜朝鮮伝説の科学者〜(16) | ソン・イルグク |
作品名(映画) | |
世宗大王 星を追う者たち(19) | チェ・ミンシク |
『大王世宗』では、ヨンシル失脚事件の謎を、明に連れていかれそうになったヨンシルを守るため、世宗がわざと輿を壊して罪を被せ罷免した、という新解釈で描かれているわ!
『チャン・ヨンシル 〜朝鮮伝説の科学者〜』は、ヨンシルを主人公とする初めてのドラマで、太宗や世宗と出会い、才能を開花させる様子が描かれているわ。ヨンシルを演じたソン・イルグクは『朱蒙』以来、8年ぶりの時代劇主演として注目を集めたの!