・キムユシンってどんな人?
・どうやって三国統一に導いたの?
・キムユシンが登場するドラマについて知りたい!

こんな声に答えていくよ!
善徳女王の右腕として活躍し、ドラマではピダムとの三角関係も描かれたキムユシン。
29代王・武烈王(ムヨルワン)とともに新羅を三国統一へと導いた名将の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は、「キムユシン(金庾信)|善徳女王の右腕!三国統一へと導いた名将」と題しご紹介していきます。
キムユシン(金庾信)のプロフィール
名前 | 金庾信(キム・ユシン) |
生没年 | 595〜673年 |
役職 | 武臣 |
略年表
611年 | 花郎の幹部「国仙」になる。 |
644年 | 新羅27代・善徳女王の元で上将軍に就任する。 |
647年 | 善徳女王の死後、28代・真徳女王を擁立する。ピダムの乱を鎮圧する。 |
654年 | 真徳女王の死後、29代・武烈王を擁立する。 |
660年 | 「黄山伐の戦い」で階伯(ケベク)将軍に勝利する。百済滅亡。 |
668年 | 高句麗を滅ぼし三国統一を達成。太大角干に就任する。 |



階伯(ケベク)については、別記事で詳しくまとめているから気になる人はチェックしてみてね!


分かりやすく解説



金庾信は、『三国史記』の全50巻中、3巻分が列伝に割かれている三国時代一の名将よ。金官伽耶(クムグァンカヤ)の首露王(スロワン)の12代子孫とも、古代中国の五帝に数えられる小昊(しょうこう)の末裔とも言われているわ。



とにかくすごい人物なんだね!



ええ。貴族の子弟で構成されたエリート集団「花郎」を率いて新羅27代王・善徳女王を補佐したわ。その後28代王・真徳女王を支え、29代王・武烈王の覇業を助けたの!



数々の王を補佐したんだね!



ちなみに、武烈王とは若い頃からの盟友で、実の妹が武烈王に嫁いで、金庾信は姪にもあたる武烈王の娘を妻に迎えたそうよ!



自分の妹と武烈王の子どもを妻に!?それはびっくり!



金庾信は新羅軍の総司令官として、百済を滅ぼし、白村江の戦いで倭軍も撃破したわ。さらに高句麗を滅ぼし、三国統一の立役者となったの。



確かこの戦いで、百済最後の忠臣と言われている階伯(ケベク)を破ったんだよね。



その通りよ。甥にあたる30代王・文武王(ムンムワン)は、最高官位の大角干より上の太大角干を新設して贈ることで、4代にわたって仕えた功臣を讃えたそうよ。その後は、圧力を強める唐とも対峙して、673年に78歳でこの世を去ったの。
キムユシン(金庾信)の登場する主な作品
ドラマ名 | 役者名 |
淵蓋蘇文<ヨンゲソムン>(06〜07) | ユン・スンウォン |
善徳女王(09) | オム・テウン |
階伯<ケベク>(11) | パク・ソンウン |
大王の夢(12〜13) | キム・ユソク |



『大王の夢』では金春秋(キム・チュンチュ)と三国統一を目指す2人の生涯が描かれていて、『淵蓋蘇文』や『階伯』では、新羅最高の武将として登場するわ。



『善徳女王』ではピダムと女王との三角関係が描かれているよね!



ドラマによってそれぞれ脚色されている部分もあるけど、常に主役級の存在感を放っていることは間違いないわね。