この記事では、朝鮮王朝時代「花」に例えられた妓生たちの実態とベールに包まれた暮らしぶりについてまとめています。
・韓国時代劇の中でよく妓生が出てくるけど彼女たちは一体何者?!
・妓生と日本の芸者との違いは何?
・どんな暮らしをしていたの?
こんな疑問に答えていくよ!
朝鮮王朝時代、身分が低いにも関わらず美貌と才を武器に高貴な男たちを魅了していた妓生。
ドラマ「ファン・ジニ」で妓生に興味を持った人も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、「キーセン(妓生)とは?芸者との違いや歴史、暮らしを徹底スクープ!」と題しご紹介していきます。
キーセン(妓生)とは?
朝鮮王朝を彩った最下層の女性たち
妓生のルーツについては色々な説があるんだけど、『高麗史』によると「官婢にした百済遺民の中から容貌と技芸に優れたものを選んで歌舞を学ばせ女楽とした」って言われているの。
高麗時代に誕生したんだね!ところで官婢ってなんだっけ?
国家の財産として扱われた人のことだよ。ちなみに個人の財産として扱われたのは私婢っていうのよ。いづれにしても一番下の身分に当たる人々のことね。
国家の財産か…。彼女たちは何のために歌や踊りを学んだの?お偉いさんたちを喜ばせるため?
八関会(パルグァンフェ:国と王室の安泰を祈願する儀式)や燃燈会(ヨンドゥンフェ:釈迦の生誕祭)などの国家行事や、中国からの使節団を接待する席に呼ばれたのよ。朝鮮時代に入ってもこの制度を継承したってわけね。
そうなんだ。行事に華やかさをプラスする存在だったんだね!
そうね。宴会でお偉いさんたちをもてなした後は、彼らの宿舎へ送られて「夜の相手」を務めたの。ちなみに地方の官庁にも同じシステムがあって、それらは郷妓(ヒャンギ)って呼ばれていたそうよ。中央から来た官僚たちの相手をしたの。
宴会や行事がない時には何をしていたの?
宮中の内医院(ネイウォン)や針房(チムバン)で働いていたのよ。身分的には最下層の彼女たちだけど、国家の財産でお偉いさんたちをもてなす重役とだけあって、華麗な衣服や豪華な装飾品に身を包むことが許されていたの。
美人が綺麗に着飾る…そりゃ、世の男性たちは虜になるわけだ。
妓生の歴史
朝鮮王朝を彩った華麗な賤民・妓生。彼女たちの歴史を振り返ることで、当時の朝鮮の様子も知ることができます。
妓生が廃止されるまでの道のり
妓生の始まりが高麗時代であることは説明したわよね。次は、どのようにして妓生制度が終わりを迎えることになったかについて説明していくわね。
OK!
1392年に李氏朝鮮が成立して、1410年には妓生廃止論が出たんだけど、「妓生制度を廃止すると官吏が一般家庭の女性を犯すことになる」っていう反対論が出されたりして王も妓生制度を公認せざるを得なかったのよ。
妓生の役割がそれほど重大だったってことだね。
そうね。妓生は辺境軍人の慰安婦としても派遣されて兵士たちの士気を高める役割も果たしていたそうよ。
そうだったんだ。妓生が廃止の方向に向かうことになったきっかけは何?
1876年に朝鮮が日本の開国要求を受けて日朝修好条規を結んだんだけど、それ以降、日本や海外からの文化が入ってきて妓生制度にも変化が見られるようになったの。
具体的には?
日本の芸者や遊郭、ロシアなんかからの白人女性の娼婦が入ってきて、従来の妓生制度と融合して区別が無くなっていったんだって。そして、日本の近代的公娼制度に組み込まれる形で事実上の終わりを迎えたそうよ。
そうだったんだ。妓生の終わりは日本がきっかけだったんだね。
妓生をこよなく愛した燕山君
妓生の全盛期は10代王・燕山君の時代と言っても過言ではないの。暴君として有名だった燕山君は、同時に、異常なまでの女たらしだったわ。
異常なまでって例えばどんなエピソードがあるの?
神聖なお寺を潰して妓生の養成学校にしたり、常に自分の近くに妓生を置いたりしていたの。淫らな行為をした相手は1万人を超えるとまで言われているわ。
1万人?!!
一国の王がここまで妓生に没頭するとなると、その時代の政治がどうであったか考えるまでもないわね。まさに暗黒時代よ。燕山君の時代が妓生の全盛期であったことは間違い無いかもしれないけど、これまでの妓生の風紀も大いに乱れていたでしょうね。
燕山君について気になる人は彼の記事を読んでみるといいわ。政治背景から彼の暴君ぶりまでがよく分かると思うわ。
妓生のランク
妓生と一言で言っても彼女たちには3種類のランクがあったの。最上の者を一牌 (イルペ)、次の者を二牌 (イペ)、最も下級な者を三牌 (サムペ) と呼んだそうよ。
それぞれの違いは何?
一牌は、妓生学校を卒業後に宮中に入った妓生のことよ。宮中に入れなかった妓生は自宅で客をとったりもしたみたいだけど、基本的には気位が高いとされているわ。
つまり、学校でしっかり学んで専門職として宮中に就職した、みたいな感じだね。
そうね。二牌は、住宅街の中で暮らしながら隠れて売春する妓生のことを指すそうよ。三牌は完全に娼婦なんだけど、朝鮮末期には三牌も妓生と呼ばれるようになったの。
そうだったんだ。じゃあ、ドラマなんかで王様の周りにいる妓生たちは基本、一牌の妓生なんだね。
妓生と芸者の違い
朝鮮の妓生と日本の芸者の違いについては、山地白雨が1922年に刊行した『悲しき国』の中で、「妓生は日本の芸者と娼婦を一つにしたような者で、娼婦としては格が高く、芸者としては、その目的に沿わないところがある」と述べているの。
つまりは似て非なるもの、ってこと?
妓生の中にも、一牌という気位の高い女性たちもいれば、本当に体だけで商売をする女性もいたから一概には言い切れないんだけどね。
確かにね。日本の芸者さんの前身とされている遊女や私娼も歌や踊りでお客さんを楽しませる一方で、売春が行われていたりもしたもんね。
ええ。強いて言うならば、純粋に歌や踊りなどの技芸でお客さんを楽しませる芸者さんと売春も行う遊女が合体したようなものかしら。
なるほど。
妓生は才女だった!
ここまで妓生についてあれこれ話してきたけど、彼女たちは「女性に学問は不要」とされる中でお偉いさんたちに通ずる相手となるために歌舞や書画、詩を学んだ才女だったのよ!
そう言われれば、当時は王妃や両班の娘の中にも、文字すら知らない人たちもたくさんいたって言うもんね。
ええ。それも知識をひけらかすんじゃなくて、さりげなくオブラートに包んで発揮することが風流でいいとされたのよ。
オブラートに包んで…。難しそうだね。
これに関しては、王朝初期の頃の有名な逸話があるわ。開国の功臣を労う太祖の宴会の席で、宰相の裵克龍(ぺグンリョン)が妓生の雪梅(ソルメ)に「東家食、西家宿(誰にでもなびく)の妓生なのだから自分にも枕を薦めてはどうか」と問うと、雪梅は「王氏(高麗)に支え、李氏(朝鮮)に仕える大臣とは(誰にでもなびくもの同士)良い取り合わせです」と見事にやり返したそうよ。
おおお。確かに上手な返しだね。ウィットに富んでいるというか何というか。今、こんな返しをできる人は少ないよね。