・恭愍王ってどんな人物だったの?彼の治世は?
・恭愍王が登場するドラマについて知りたい!

こんな声に応えていくよ!
元の干渉から脱し改革を推し進めるも、最愛の王妃の死から立ち直れずに志半ばで挫折した恭愍王。
そんな彼の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は「【高麗王朝31代】恭愍王(ワンジョン)|最愛の王妃の死に打ちひしがれた王」と題し、ご紹介していきます。
恭愍王(コンミンワン)/王顓(ワンジョン)のプロフィール
本名・初名 | 恭愍王(コンミンワン)/王顓(ワンジョン) |
生没年 | 1330〜1374年 |
在位期間 | 1351〜1374年 |
父 | 高麗王27代・忠粛王(チュンスクワン) |
妃 | 魯国大長公主(ノグクデジャンコンジュ) |
略年表
1330年 | 高麗27代王・忠粛王と明徳太后洪氏の次男として誕生する。実兄は高麗28代王・忠恵王。 |
1341年 | 元の宮廷で暮らす。 |
1349年 | 元の皇族で魏王(ギオウ)の娘・魯国大長公主と結婚する。 |
1351年 | 高麗31代王として即位後、反元親明政策を打ち出す。 |
1365年 | 寵愛した魯国大長公主が亡くなる。 |
1374年 | 暗殺される。享年45歳。 |
恭愍王を分かりやすく解説



恭愍王は第28代王・忠恵王の弟で、1341年から元で暮らしていたの。1349年に元の皇族、魏王ボロト・テムルの娘・魯国大長公主と結婚したわ。



14世紀半ばの高麗は幼君が続いていて、政情が不安定だったそうよ。高麗朝廷からの直訴もあって、元は幼かった第30代王・忠定王(チュンジョンワン)を廃位させて、恭愍王の即位を後押ししたの。



確か忠定王は、10歳で即位していたよね。そして14歳ごろには廃位されて江華島に流された挙句、亡き者にされていたよね…。



ええ。忠定王の犠牲があって1351年に即位したんだけど、当時は明の台頭が目覚ましくって、元の勢力は衰えを見せていたそうよ。恭愍王はこれに乗じて元の干渉から脱し、反元政策を打ち出したの。奇氏一族をはじめとする親元勢力を排除して、元に奪われていた領地を取り戻すことにも成功したの!



ここぞとばかりに機会を逃さなかったんだね!



でも、治世半ばに入ると紅巾(こうきん)賊や倭寇の侵攻によって恭愍王の改革も思うようにいかなくなったの。さらに、寵愛していた魯国大長公主の死で政治を顧みなくなったうえ、内政改革に登用した辛旽(シンドン)が勢力を持ち始めると反対勢力に押され、不安定な政局の中で暗殺されてしまったのよ。



恭愍王が溺愛していた魯国大長公主については、別記事で詳しくまとめてあるからチェックしてみてね!
恭愍王(コンミンワン)/王顓(ワンジョン)の登場する主な作品
作品名(ドラマ) | 役者名 |
開国(83) | イム・ヒョク |
辛旽 シンドン ~高麗中興の功臣~(05〜06) | チョン・ボソク |
シンイ-信義-(12) | リュ・ドックァン |
大風水(12〜13) | リュ・テジュン |
鄭道傅 チョン・ドジョン(14) | キム・ミョンス |



『シンイー信義ー』ではキ・チョルら親元勢力と恭愍王との激しい対立が描かれているわ。少年時代を元で過ごした恭愍王が、孤独な高麗王宮で元の着物を脱ぎ捨てて改革への決意を見せるシーンは印象的だったな〜。



『シンイー信義ー』でパク・セヨンが演じた魯国大長公主も儚げで美しかったよね。あれは、恭愍王も惚れちゃうよね〜。



実際も素敵な女性だったんでしょうね。恭愍王の改革派な一面は『辛旽 シンドン ~高麗中興の功臣~』でも見れるから要チェックよ!