この記事では、朝鮮王朝歴代27人の王たちを初代から順番に解説しています。
・韓国時代劇ドラマをよく見るけど、何がなんだがさっぱり分からない
・毎回聞き覚えのある名前が出るけど、いまいち歴史が繋がらない
ドラマを純粋に楽しむ分には全くそんなことを気にしなくて良いですが、
一歩踏み込んで歴史を学び深めると、ドラマの面白さがグッとアップします。
今回の王は、あのドラマと繋がりあったんだ!!
あの王がお人好し過ぎたから、この時代が大変なんだ…
1つ1つのシーンが繋がることで、何度見ても違う面白さが生まれる。
それが、韓国時代劇ドラマです。
ぜひ、朝鮮王朝27人の王たちを知り、”王の目線”でドラマを楽しんでみてください。
【朝鮮王朝】歴代27人の王たちを総まとめ!一目でわかる略系図と一覧表
1392年、太祖(テジョ)/李成桂(イ・ソンゲ)によって建てられた朝鮮王朝。そんな朝鮮の頂点に君臨した王27人の家系図を見ていきましょう。
以下、歴代27人の王たちの在位期間や略歴、登場する主な作品について表にまとめているわ。王様の名前をクリックすると名刺カードに飛ぶよ!
名前 | 在位期間 | 略歴 | 主な登場作品 | |
1 | 太祖(テジョ) | 1392〜1398年 | クーデターをきっかけに朝鮮王朝を開いた | 『開国』『龍の涙』『太宗大王−朝鮮王朝の礎−』 |
2 | 定宗(チョンジョン) | 1398〜1400年 | 後継者争いの中で意図せず擁立された王 | 『六龍が飛ぶ』『鄭道伝<チョン・ドジョン>』『大王世宗』 |
3 | 太宗(テジョン) | 1400〜1418年 | 朝鮮王朝の国家的基盤を固めた | 『太宗大王−朝鮮王朝の礎−』『大王世宗』『六龍が飛ぶ』『チャン・ヨンシル〜朝鮮伝説の科学者〜』『イニョプの道』『鄭道伝<チョン・ドジョン>』 |
4 | 世宗(セジョン) | 1418〜1450年 | ハングルを創製した | 『根の深い木』『大王世宗』『龍の涙』『太宗大王−朝鮮王朝の礎−』『六龍が飛ぶ』 |
5 | 文宗(ムンジョン) | 1450〜1452年 | 即位約2年で息子を残して病死 | 『王と妃』『大王世宗』『王女の男』『インス大妃』 |
6 | 端宗(タンジョン) | 1452〜1455年 | 叔父に王位を追われた悲運の幼王 | 『韓明澮〜朝鮮王朝を導いた天才策士〜』『王と妃』『王女の男』『観相師』 |
7 | 世祖(セジョ) | 1455〜1468年 | 武断政治で安定した政権を獲得する | 『王女の男』『王と妃』『不滅の恋人』『インス大妃』『観相師』 |
8 | 睿宗(イェジョン) | 1468〜1469年 | 早世した兄に代わり即位。王権強化に努めるが20歳で突然死 | 『王様の事件手帖』『王と私』『インス大妃』 |
9 | 成宗(ソンジョン) | 1469〜1494年 | 朝鮮王朝の法体系を整備した | 『王妃チャン・ノクス〜宮廷の陰謀〜』『王と妃』『王と私』『インス大妃』『七日の王妃』『逆賊–民の英雄 ホン・ギルドン–』 |
10 | 燕山君(ヨンサングン) | 1494〜1506年 | 朝鮮王朝の最悪の暴君として悪名高い | 『王妃チャン・ノクス〜宮廷の陰謀〜』『王と妃』『宮廷女官 チャングムの誓い』『王と妃』『七日の王妃』『王と私』『インス大妃』『逆賊–民の英雄 ホン・ギルドン–』 |
11 | 中宗(チュンジュン) | 1506〜1544年 | クーデターで擁立された優柔不断な王 | 『宮廷女官 チャングムの誓い』『女人天下』『七日の王妃』『師任堂、色の日記』 |
12 | 仁宗(インジョン) | 1544〜1545年 | 即位9ヶ月で死去した最短命の王 | 『女人天下』『師任堂、色の日記』『天命』 |
13 | 明宗(ミョンジョン) | 1545〜1567年 | 強気な母に叱られては泣いた涙の王 | 『オクニョ 運命の女』『女人天下』『不滅の李舜臣』『天命』『魔女宝鑑〜ホジュン、若き日の恋〜』 |
14 | 宣祖(ソンジョ) | 1567〜1608年 | 文治主義を掲げたが、壬辰倭乱・丁酉再乱(文禄の役・慶長の役)で都落ちという逃げ恥をさらした | 『軍師リュ・ソンリョン〜ジンビロク〜』『魔女宝鑑〜ホジュン、若き日の恋〜』『華政』『王の顔』 |
15 | 光海君(クァンヘグン) | 1608〜1623年 | 第10代燕山君と同じく廃位された | 『王の女』『王の顔』『ホ・ギュン〜朝鮮王朝を揺るがした男〜』『華政』『軍師リュ・ソンリョン〜ジンビロク〜』 |
16 | 仁祖(インジョ) | 1623〜1649年 | 仁祖反正で王位に就くも、朝鮮に屈辱的な歴史を残した | 『華政』『三銃士』『花たちの戦い〜宮廷残酷史〜』『馬医』『チュノ〜推奴〜』 |
17 | 孝宗(ヒョジョン) | 1649〜1659年 | 清への復讐を果たせなかった王 | 『花たちの戦い〜宮廷残酷史〜』『華政』 |
18 | 顕宗(ヒョンジョン) | 1659〜1674年 | 北伐計画を中断して国家を安定させたが、党争に苦しめられた | 『馬医』『チャン・オクチョン』『チャン・ヒビン』 |
19 | 粛宗(スクチョン) | 1674〜1720年 | 民生安定と経済発展、王権確立に努めた | 『テバク〜運命の瞬間〜』『チャン・オクチョン』『トンイ』『張禧嬪 チャン・ヒビン』 |
20 | 景宗(キョンジョン) | 1720〜1724年 | 老論と少論に翻弄され急死した王 | 『トンイ』『テバク〜運命の瞬間〜』 |
21 | 英祖(ヨンジョ) | 1724〜1776年 | 在位期間は27代中最長の52年。我が子を米びつで死なせる悲劇を起こす | 『トンイ』『イ・サン』『ペク・ドンス』『張禧嬪 チャン・ヒビン』『テバク〜運命の瞬間〜』『王の運命–歴史を変えた八日間–』『秘密の扉』 |
22 | 正祖(チョンジョ) | 1776〜1800年 | 第4代世宗に並ぶ名君 | 『正祖暗殺ミステリー8日』『イ・サン』『正祖大王–偉大なる王の肖像–』『風の絵師』『トキメキ☆成均館スキャンダル』『王の涙–イ・サンの決断–』 |
23 | 純祖(スンジョ) | 1800〜1834年 | 勢道政治に苦しんだ王 | 『雲が描いた月明り』(←純祖がモデルと言われている)『イ・サン』 |
24 | 憲宗(ホンジョン) | 1834〜1849年 | 最年少(8歳)で即位した王 | 『興夫』 |
25 | 哲宗(チョルチョン) | 1849〜1863年 | 江華島の没落王子から王位に担ぎ上げられた王 | 『Dr.JIN』 |
26 | 高宗(コジョン) | 1863〜1907年 | 実質的に朝鮮最後の国王。大韓帝国初代皇帝でもある。 | 『朝鮮ガンマン』『Dr.JIN』『済衆院』『明成皇后』『ミスター・サンシャイン』 |
27 | 純宗(スンジョン) | 1907〜1910年 | 日本による植民地化で権力を行使できなかった | 『ラスト・プリンセス–大韓帝国最後の皇女–』 |
【朝鮮王朝・前期】歴代王初代〜13代をPICK UP
1392年、武将・李成桂(イ・ソンゲ)が高麗から政権を奪い朝鮮王朝を樹立したんだ。時代劇の名監督であるイ・ビョンフンが手がけた「朝鮮王朝五百年」をはじめ数多くの作品が描かれてきた時代の幕開け。
王朝は第4代・世宗(セジョン)の時代に前期の最盛期を迎えたんだけど、次第に日本や中国からの侵略で大打撃を受けてしまうことになったんだよね。
①太祖(テジョ)/李成桂(イ・ソンゲ)
②定宗(チョンジョン)/李芳果(イ・バングァ)
③太宗(テジョン)/李芳遠(イ・バンウォン)
④世宗(セジョン)/李祹(イ・ド)
⑤文宗(ムンジョン)/李珦(イ・ヒャン)
⑥端宗(タンジョン)/李弘暐(イ・ホンウィ)
⑦世祖(セジョ)/李瑈(イ・ユ)
⑧睿宗(イェジョン)/李晄(イ・ファン)
⑨成宗(ソンジョン)/李娎(イ・ヒョル)
⑩燕山君(ヨンサングン)/李㦕(イ・ユン)
⑪中宗(チュンジョン)/李懌(イヨク)
⑫仁宗(インジョン)/李峼(イ・ホ)
⑬明宗(ミョンジョン)/李峘(イ・ファン)
【朝鮮王朝・後期】歴代王14〜27代をPICK UP
保守勢力・勲旧派(フングバ)による新興官僚・士林派(サリムパ)への弾圧など闘争が続いて、第14代・宣祖(ソンジョ)の時代に士林派が政権を握ったんだよ。
18世紀には王朝後期の絶頂期を迎え、この時代を象徴したが「イ・サン」に登場する英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)だったね。
でもその後は外戚が王権を握るようになって国は衰退していき、列強の覇権争いに巻き込まれていくんだよ。
⑭宣祖(ソンジョ)/李昖(イ・ヨン)
⑮光海君(クァンヘグン)/李琿(イ・ホン)
⑯仁祖(インジョ)/李倧(イ・ジョン)
⑰孝宗(ヒョジョン)/李淏(イ・ホ)
⑱顕宗(ヒョンジョン)/李棩(イ・ヨン)
⑲粛宗(スクチョン)/李焞(イスン)
⑳景宗(キョンジョン)/李昀(イ・ユン)
㉑英祖(ヨンジョ)/李昑(イ・グム)
㉒正祖(チョンジョ)/李祘(イ・サン)
㉓純祖(スンジョ)/李玜(イ・ゴン)
㉔憲宗(ホンジョン)/李烉(イ・ファン)
㉕哲宗(チョルチョン)/李昪(イ・ビョン)
㉖高宗(コジョン)/李㷩(イ・フィ)
㉗純宗(スンジョン)/李坧(イ・チョク)
知っ得!「祖」「宗」「君」「大王」の違いを解説!
王様の名前に「祖」「宗」「君」「大王」が付けられているわよね。
これはしっかりと意味があるのよ。
- 「祖」は国を建国した王
-
(例)高麗を建国した太祖(ワンゴン)、朝鮮を建国した太祖(イ・ソンゲ)
しかし、クーデターによって先王を追い出し新しい政府になる際にも「祖」が使われた。
(例)7代王・世祖、16代王・仁祖
※11代王・中宗もクーデターにより先王の燕山君から王位を奪ったが、父である9代王・成宗の正当な後継者として「宗」を使った方がいいと考えていたため、その意見が尊重され「中宗」となった。
朝鮮後期になってくると次第に本来の「祖」の意味合いが希薄になってくる。
(例)14代王・宣祖は息子である16代王・仁祖が「父は文禄・慶長の役から国を救い新時代が始まった」として「祖」が用いられた。
(例)23代王・純祖は妻であった純元王后(実権を握っていた)が農民から王になった25代王・哲宗に「夫も偉い人として記録せよ!」と圧力をかけたことで「純祖」となった。
(例)26代王・高宗は「祖=偉い人という基準なら…」という理由で21代王・英祖、22代王・正祖にも「祖」を用いた。
- 「宗」は国を運営・指導した王
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(例)2代王・定宗、3代王・太宗など
- 「大王」は大韓民国になってから高く評価された王
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(例)朝鮮王朝時代では、4代王・世宗のみが「世宗大王」と呼ばれている。
彼は、現在の北朝鮮と韓国を合わせた韓国領土の確保を行い、ハングルを創造した点において高く評価された。
- 「君」はクーデターによって降ろされた王
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(例)10代王・燕山君、15代王・光海君
※6代王・端宗もクーデターにより叔父の世祖より王位を奪われたが、燕山君や光海君が国民からの信頼を失っていたのに対し、端宗は正統な王として国民から期待されていたもののただ幼いからという理由だけで王位を奪われたため「君」では国民にも示しがつかないとして「宗」が使われた。
こんな基準や理由があって付けられていたんだね。
やっぱり知らないルールを知るとまた見方が変わって楽しくなるね!