白光炫(ペククァンヒョン)|馬医から王の主治医になった漢方外科医

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・白光炫ってどんな人?
・どうやって獣医から王の主治医にまで上り詰めたの?
・ドラマ『馬医』が気になる!

なつき

こんな疑問・要望に答えていくわよ!

朝鮮王朝時代、最下層の身分にあった馬医。

白光炫はいかにして医術を学び王の主治医にまで上り詰めたのでしょうか。

そこで今回は、「白光炫(ペククァンヒョン)|馬医から王の主治医になった漢方外科医」と題しご紹介していきます。

目次

白光炫(ペククァンヒョン)のプロフィール

名前白光炫(ペククァンヒョン)
生没年1625年〜1697年
職業医師

略年表

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1625年誕生する。本貫は忠清道の林川。
1670年朝鮮王朝第18代王・顕宗の治療に携わる。
1684年康翎県監に任命される。
1691年知中樞府事に任命される。
1692年崇禄大夫(従一品)に昇格する。
1695年『粛宗実録』で「この世の神医である」と称賛される。
1697年死去する。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物大事典

豆知識①県監(ヒョンガム)とは
朝鮮王朝時代の官職で従六品の位。小さい県の地方官。ちなみに、主要な県を管轄する県令は従五品の位。

豆知識②知中樞府事(チジュンチュブサ)とは
知事(チサ)という官職名と、 中枢府(チュンチュブ)という官庁名を合わせたもの。知事とは主要官庁に置かれた正二品の官職で、名目上の責任者を示す。中枢府は、王命の伝達や軍に関する事柄などを担当した官庁で、武官の最高機関とされている。しかし、実際は業務を行うのではなく事実上の名誉職としての存在であった。

豆知識③崇禄大夫(スンロクテブ)とは
官職において正一品に次ぐ2番目に高い階級で名誉称号のようなもの。

分かりやすく解説

なつき

白光炫は賤民出身で、独学で鍼を学んで馬医(獣医)になったの。当時中国への貢ぎ物でもあった馬は貴重な存在で、その治療において切開に用いる鍼を煮沸消毒し、病巣を根本から除去することに成功したの!

はると

へぇ〜!そうだったんだ!

なつき

彼はこれを人の腫れ物の治療に応用して、外科的治療法を確立させたわ。その評判はやがて王宮にまで届き、18代王・顕宗〜19代王・粛宗の代に王や王族の病気を治して実績を積み、最終的には王の主治医(御医)にまで上り詰めたの。

はると

そういう経緯があったんだね。

なつき

史書での彼に関する記述は少ないんだけど、『粛宗実録』では「白光炫は煮沸消毒による治療をよく行い、多くの結果を残しているから、この世の神医である」と称賛しているの。

白光炫(ペククァンヒョン)の登場する主な作品

作品名(ドラマ)役者名
馬医(12)チョ・スンウ
なつき

『馬医』ではクァンヒョンが賤民の息子として育ちながらも、運命に導かれるようにして馬医から名医になるまでのストーリーをドラマチックに描いているわ。

はると

これまでの医療時代劇にはないような感じだね!

なつき

初恋の相手との純愛も描かれているから涙なしでは見られないわ。主人公のクァンヒョンを演じるチョ・スンウの優しい眼差しも素敵なの。

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