文定(ムンジョン)王后|息子を王にするために悪事に手を染めた王妃

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・文定王后ってどんな人?
・息子を王にするためにどんな悪事を重ねたの?
・文定王后が登場するドラマは?

なつき

こんな疑問に答えていくよ!

最愛の息子を得て、我が子を絶対に王にしたいと執着し始めた文定王后。

前妻との間に生まれた長男の存在を疎ましく思い、鬼継母となった彼女はついに悪事に手を染め長男を排除するための画策を次から次へと遂行していくことに・・・。

いったい、彼女はどんな手を使って我が子を王にしようとしたのでしょうか?

そこで今回は、「文定(ムンジョン)王后|息子を王にするために悪事に手を染めた王后」と題し、ご紹介していきます。

目次

文定(ムンジョン)王后のプロフィール

姓名文定(ムンジョン)王后
生没年1501年2月1日〜1565年12月29日
配偶者第11代王・中宗(チュンジョン)
息子第13代王・明宗(ミョンジョン)
尹元衡(ユンウォニョン)

略年表

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1501年尹之任(ユン・ジイム)の娘として誕生。
1517年中宗の3人目の王妃に冊封される。
1534年慶源大君(のちの明宗)を出産。
1544年仁宗が即位。
1545年明宗が即位。大妃となって垂簾聴政を行う。乙巳士渦を起こして大尹派を排除。
1553年垂簾聴政を終え、明宗の親政が始まる。
1565年死去。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

文定王后を分かりやすく解説

なつき

中宗が3番目に迎えた正室が文定王后だったんだけど、王との間に息子をもうけると「我が子を王に!」という思いが強くなっていったそうよ。中宗には2番目の正室が産んだ長男がいたんだけど、その正室は産後1週間で亡くなってしまっていたから、文定王后が継母として長男を育てることになったの。

はると

次男である自分の息子を王にしたいんだったら、文定王后にとって長男の存在は疎ましかっただろうね。

なつき

実際、寝殿に火をつけたこともあったらしいわ。長男は急死に一生を得たんだけど、そんな鬼のような継母に対しても孝行を尽くしたの。中宗が倒れた時も長男は付きっきりで看病をして、その献身的な姿に誰もが心を動かされたそうよ。

はると

長男はすごく優しい人だったんだね。

なつき

優しすぎたのよね。中宗が1544年に56歳で亡くなると、長男が仁宗(インジョン)として第12代王に即位したわ。即位直後から体調が悪かった仁宗は、在位わずか8ヶ月でこの世を去ったの。これは、歴代王27人の中で最短よ。でも、仁宗が亡くなった経緯を詳しく見てみると文定王后が関与しているとしか思えないようなエピソードが出てくるの。

はると

なになに?一度だけでなく2度も殺害しようとしたってこと?!

なつき

1545年の6月に文定王后が仁宗に挨拶に来るように言って、挨拶に来た仁宗にお餅を出したんだけど、そのお餅を食べた仁宗はしばらく下痢が続いたの。それからというもの、仁宗の持病はどんどん悪化していったそうよ。その間に、文定王后は幾度となく「見舞いに行く!」と言ったそうなんだけど、周囲の人々が王が安静に過ごせるように、と制止したの。

はると

仮にも継母だし、病んでる息子のお見舞いに行きたがるのはおかしくないんじゃない?

なつき

いいえ。文定王后には仁宗を心配するそぶりなんて微塵もなかったの。王の元に足繁く通うことで、王の病状を宮中内外に噂させ、仁宗の王権を揺るがすことが狙いだったとされているわ。結果として、見舞いに行くことなく仁宗は7月1日に息を引き取ったわ。心優しい仁宗の死に人々は、路上にひざまづいて悲しんだそうよ。

はると

国民から愛されていた王様だったんだね。

なつき

ええ。それなのに文定王后は「王位に一年も就いていなかったから」という理由で葬儀を簡素化し冷遇したそうよ。そして、ついに文定王后の息子が第13代王・明宗として即位するの。仁宗は腹違いの弟である明宗に王位を譲るために自分の子どをを作らなかった、と言われているわ。

はると

そんな…。優しい仁宗を毒殺してまで我が子を王にしようとしたかもしれないなんて…。明宗はどんな気持ちだったんだろうね。

なつき

餅に毒を盛って毒殺したことは歴史書の“野史“にも記されているわ。でもそれだけでなく、文定王后の弟である尹元衡(ユンウォニョン)がありとあらゆる手を使って仁宗の命を絶つための儀式を行っていた証拠もあるのよ。

はると

尹元衡といえば、姉の七光によって出世街道をひた走っていたから姉が望むことならなんでも!っていう感じの人だったよね。

なつき

明宗が即位してからも、まだ11歳と幼かったから文定王后が政治の実権を握って要職を身内で固めたのよ。それからというもの、凶作への対策を行わずに民を見捨てたり、これまで儒教を重んじて仏教を抑圧していた歴史を無視して自分が仏教徒だからという理由で仏教を保護したりとやりたい放題の政治を行なったわ。

はると

歴史は繰り返す、っていうけど本当だね。王が幼いからその母、祖母が政治を代行して、要職を身内で固めて、悪さをする。聞いてられないよ。

なつき

文定王后は1565年に亡くなったんだけど、息子の明宗もわずか2年後に他界したの。傷つきやすくて繊細な人柄だったとされている明宗にとって母の悪行はどれほど彼を苦しめたことか・・・。

文定(ムンジョン)王后が登場する主な作品

ドラマ名役者名
林巨正-快刀イム・コッチョン(96)キム・チョン
王朝の暁 〜趙光祖伝〜(96)キム・ミンジョン
女人天下(01)チョン・イナ
宮廷女官チャングムの誓い(03)パク・チョンスク
天命(13)パク・ジヨン
オクニョ 運命の女(16)キム・ミスク
魔女宝鑑(16)キム・ヨンエ
朝鮮生存記(19)イ・ギョンジン
なつき

ちなみに、文定王妃は“裏の三大悪女”と呼ばれているわ!朝鮮王朝時代の悪女について気になる人は、次の記事もあわせてチェックしてみてね!

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