武烈王(ムヨルワン)唐と同盟し統一新羅の礎を築いた名君

この記事では、新羅29代王・武烈王(ムヨルワン)についてまとめています。

・『大王の夢』で主演として描かれた武烈王についてもっと知りたい!
・王族ではあったけど、王位継承者ではなかった武烈王がどうして王になれたの?
・武烈王と善徳女王の関係について知りたい!

女王に仕えながら外交手腕を発揮し、後の29代王に指名された武烈王。

統一新羅の礎を築き名君とも呼ばれた彼の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は、「武烈王(ムヨルワン)唐と同盟し統一新羅の礎を築いた名君」と題しご紹介していきます。

この記事でわかること
・武烈王のプロフィール
・武烈王の生涯ストーリー
・主な登場作品

ゆき

それでは、スタート!

武烈王(ムヨルワン)のプロフィール

武烈王
引用:Amazon チェ・スジョンが演じた武烈王
名前/本名武烈王(ムヨルワン)/金春秋(キム・チュンチュ)
生没年603〜661年
在位期間654〜661年

略年表

632年新羅27代・善徳女王の重臣として外交に尽力する。
642年百済軍に居城を攻撃され娘を失う。高句麗に援軍を求めるも抑留され、のちに脱出する。
648年28代・真徳女王により唐に派遣され太宗と対面する。
654年真徳女王の死により29代王に即位する。
660年羅唐連合軍を結成し百済に進軍し、滅ぼす。
661年高句麗制圧の途中で亡くなる。

史実では

父は25代・真智王(チンジワン)の息子の金龍春(キムヨンチュ)、母は26代・真平王(チンピョンワン)の娘で27代・善徳女王の姉妹であった天明公主(チョンミョンコンジュ)。


善徳女王にとっては甥にあたり、優れた外交官として唐の太宗から官位を与えられるほどの信任を得たが、一方で高句麗に抑留されたこともある。


王族であっても、本来は王位継承権を持たない真骨(チンゴル)であったが、28代・真徳女王の死去により重臣たちからの推挙で王位に就くことになった。


即位後は親唐路線を強め、唐の支配体制にならって法律や官制などを整備、元号も唐のものに改めた。そして660年、唐軍とともに百済に侵攻し、これを滅ぼした


さらに翌年には高句麗征伐を目指したが、進軍途中で倒れ、志半ばで没した。

韓国時代劇で学ぶ人物大辞典

真骨(チンゴル)とは
新羅時代に使われた身分制度で、両親とも王族出身の聖骨(ソンゴル)に対し、両親のどちらか一方のみが王族出身の者を指す言葉。原則として正式な王位継承者になれるのは聖骨のみであった。

ドラマでは

ゆき

ドラマ『淵蓋蘇文』では、理不尽にも捕らえられてしまう役どころだったんだけど、『大王の夢』では主演として描かれて、時代劇の帝王とも言われているチェ・スジョンが重厚に演じているの!

ひろき

どうせなら、武烈王が主人公の作品を見てみようかな!

ゆき

そうね。『善徳女王』では、新進気鋭の外交官として女王を補佐しながらも、母を亡き者にされた恨みで非常になる姿も描かれているわ。

ひろき

ドラマによって様々な描かれ方がされているんだね!

武烈王(ムヨルワン)の登場する主な作品

2021年6月時点の情報です。

作品名役者名
階伯(ケベク)イ・ドンギュ
善徳女王ユ・スンホ
淵蓋蘇文 ヨンゲソムンキム・ビョンセ
大王の夢チェ・スジョン

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