・パク・ムンスってどんな人物?何をしたの?
・彼の生涯について知りたい!
・パク・ムンスの登場する作品が気になる!
こんな声に応えていくよ!
ドラマ『ヘチ』や『暗行御史』で正義のヒーローとして登場し、高い人気を誇る朴文秀(パク・ムンス)。
そんな彼は、実在した政治家だった!
そこで今回は「朴文秀(パク・ムンス)|ドラマ『ヘチ』で注目!実在した正義のヒーロー」と題し、彼の経歴や生涯、登場作品等についてご紹介していきます。
朴文秀(パク・ムンス)のプロフィール
名前 | 朴文秀(パク・ムンス) |
生没年 | 1691〜1756年 |
職業 | 文臣 |
略年表
1691年 | 誕生。本貫は慶尚北道の高霊。 |
1723年 | 科挙に合格して文官となる。 |
1727年 | 安集御史(アンチプオサ)として地方官吏の不正を摘発し、民の信頼を得る。 |
1741年 | 咸鏡道(ハムギョンド)の飢饉対策に貢献し、記念碑が建立される。 |
1752年 | 懿昭世子(ウィソセジャ:22代王・正祖の兄)の死に伴い済州島へ配流。翌年に赦免。 |
1756年 | 66歳で死去。 |
分かりやすく解説
パク・ムンスは代々続く名門出身の文臣で、33歳の時に科挙に合格して文官となったわ!でも、21代王・英祖が即位して老論派が政権を取ると、少論派に属していた彼は失職してしまうの。
党派の違いから職を失ったんだね。その後はどうなったの?
党派に偏らずに優秀な人材を登用する“蕩平策(タンピョンチェク)”という政策によって安集御史(アンチプオサ)に任命されたの!慶尚道に派遣されたのち、悪徳官吏の不正を摘発したことで民からの信頼を得たそうよ。
そうなんだ!
それだけじゃなく、1728年には、李麟佐(イ・インジャ)の乱で討伐軍の従事官として功を立てたり、1741年には御営大将(オヨンテジャン)として咸鏡道で飢えに苦しむ民を救ったりしたの!
すごい功績の数々だね!ヒーローと呼ばれるのも納得!
でも、両班の弊害を論じたことなどで弾劾されて左遷されてしまうの。懿昭世子が亡くなると薬調合の責任を追求されて済州島へ配流されてしまったわ。翌年には赦免されて、昇進するんだけどね。
紆余曲折があったんだね…。
ええ。パク・ムンスは66歳でその生涯を閉じるんだけど、正義の暗行御史としてだけでなく、党派を超えた実用的な政策を行おうとした有能な政治家でもあったのよ。
朴文秀(パク・ムンス)の登場する主な作品
ドラマ名 | 役者名 |
暗行御史パク・ムンス(02) | ユ・ジュンサン |
秘密の扉(14) | イ・ウォンジョン |
ヘチ 王座への道(19) | クォン・ユル |
『ヘチ 王座への道』は別記事で詳しくまとめているから、併せてチェックしてみてね!