・どうやって王妃は選ばれるの?
・一族の命運を担うってどういうこと?
・即位後の王妃の実態が知りたい!
こんな疑問に答えていくよ!
女性でありながらも多くの男たちを従えた王妃。
一族の命運を担うとまで言われた王妃即位への道から、即位後の実態を一緒に学んでいきましょう。
それでは、スタート!
【朝鮮王朝】一族の命運を分けた王妃の即位
朝鮮王朝には、27代の王に対して王妃は42名いたんだって。一夫一妻制の朝鮮王朝において、王妃の数が多いのは王の在位中に亡くなった場合、すぐに次の王妃が決まるからだそうよ。
そもそも朝鮮って、一夫一妻制だったんだね!側室とかもたくさんいるから一夫多妻制かと思っていたよ!
側室は正式な妻ではないからね。「男尊女卑」の社会において、唯一王妃になった女性だけが政治に絡んで、男たちを従えることができたの。
王妃が権力を持つようになるのは何となく分かるけど、一族の命運を分けるのはなんで?
中央集権国家の国王には権力と富が集中するでしょ?その周辺まで恩恵を授かることができたから外戚(王妃を出した一族)ももれなく権力と富を手に入れることができたってわけよ。
なるほど〜。
特に王妃が王世子を生むと、外戚は次期王の直系になるわけだから、王妃による垂簾聴政を行うことで国政をも左右することができたの。朝鮮王朝後期には、外戚による勢道政治が横行したわ。
ふ〜ん。でも王妃から世子が生まれなかった場合はどうなるの?
いい質問ね!その場合は後宮(側室)から生まれた男児が世子になるの。つまり、後宮の一族が政権を握ることになるわ。それが、後宮同士の熾烈な争いになって、実家(派閥)同士の党争にまで発展したの。場合によっては王妃が廃妃されることもあったそうよ。
ひょえ〜。宮中では、後宮同士の争いがバチバチで、外では実家同士でいがみ合っているんだね。確かに、次期王の直系になれるかで一族の命運が分かれるもんね。
王妃になることは、当の本人の気持ちよりも政治的主導権をどうにかして握りたい一族の気持ちが優先されているわね。
王妃になるためのプロセス
王妃になるには、王と違って何通りかの方法があるの。最も王道なのは王世子嬪になって、夫・世子の即位とともに王妃になることよ。あとは、王妃が亡くなった後や、廃位(離婚)後の空席を狙って継妃(後妻)になるか、王に見初められて後宮として宮中に入り、継妃位に上り詰めることね。
つまり、身分が高くなくても王様に見初められたら王妃になれる可能性があるってことだね。
ええ。そう言うことよ。
【朝鮮王朝】結婚禁止令から始まる王妃選び
王妃は希望する誰もが候補になれるわけではなくて、ある程度の決まりがあるの。もっとも大きな点は、全州李氏(チョンジュイシ)の娘は候補者から除外されるって言うことね。これは、儒教で同姓婚が禁じられているからよ。
そうなんだ。他にはどんな決まりがあるの?
大王大妃(前々代王の未亡人)の同姓5親等以内の親族、王大妃(前代王の未亡人)の同姓7親等以内の親族なども除外されたわ。
ふ〜ん、しっかりしているんだね。
王妃(王世子嬪)になるってことは、国母になるってことだからね。候補者選びもそれだけ慎重になるわ。この候補者選びの過程を「揀択(カンテク)」と言うそうよ。
それはどんな仕組みなの?
世子が10代半ばに達して結婚が具体化すると、全国の名家の娘たちに結婚禁止令が出されるの。対象は高級官僚階級(両班)の10〜14歳くらいの娘たちだそうよ。
今で言う小学校高学年から中学生の子達か〜。まだまだ幼い少女たちに一族の命運を担わせることになっていたんだね。
本当よね。該当する娘を持つ家庭は、娘の「四柱単子(サジュタンジャ)」を提出しなければならなかったんだけど、娘が妃になれば権力を手にする一方で、嫉妬や警戒の的にもなり得たから、四柱単子の提出にあまり積極的ではない家庭も多かったそうよ。
確かにね。両班であればある程度の地位や財力はすでにあっただろうし、いくら権力を手にすることができると言っても大切に育ててきた娘と引き換えにだもんね…。
だから、宮中の人たちは各地の仲介業者を駆り立てて四柱単子の提出を督促したそうよ。集まった四柱単子は、王大妃によって候補者が絞られたんだって。
王大妃ってことは、王のお母さんがお嫁さん候補を決めていたんだね。
揀択は初、再、三と進められて最終的に3人の候補者に絞られるの。その中から王妃が選ばれるんだけど、選ばれなかった2人は今後、誰とも結婚することが許されないそうよ。そのまま王世子の後宮に入る場合もあるみたいだけど。
そんな決まりがあったんだね。ますますお嫁に出したくなくなるね。
【朝鮮王朝】王妃の実態
王妃になるのは上流階級の娘がほとんどなんだけど、「女性に学問は要らない」という儒教の厳しい教えで字も読めない娘もいたそうよ。そんな娘をサポートするのが実家の男性陣だったんだけど、これが朝鮮王朝の終わりなき党争に発展することになったの。
どういうこと?
党争はもともと、儒教(朱子学)の解釈をめぐる論争から始まったんだけど、自派が優位に立つためには王族が身内にいた方が名分が立てやすいからと、次第に王世子と密接な関係を結ぶことに重きを置くようになったの。
何だか本来の目的が置いてけぼりにされて、王妃を立てて王族の一員になることだけが一人歩きしているように見えるね…。悲しいけど、王妃はあくまでも一族の名分を立てるための道具にすぎないような感じもするね。
男尊女卑の原理に逆らい政治を操った女性たち
朝鮮王朝には王が幼かったり病気がちだったりして政治を行うことが難しい場合、王の母や祖母が代わりに政治を行う「垂簾聴政」という仕組みがあったわ。
これは、当時高貴な女性が家臣たちに直接顔を見せることが慎まれていて王の後ろの御簾の中から王に解決策を指示していたからそう呼ばれるようになったんだって。
そうだったんだ。でも何で代わりに政治を行うのがお母さんやばあちゃんだったの?
母や祖母は本能的に子や孫を守るでしょ?それに、女性はどんなに優れた政治を行っても王にはなれなかったからね。だからこそ、長い間この制度が受け入れられてきたのよ。
なるほどね〜。
「男尊女卑」の儒教原則の中で女性が政治に口を挟むことは異常事態だったけど、儒教の「孝」という側面で見たらいくら女性でも目上の人の意見は疎かにできなかったのよ。現に、母親や祖母の言いなりになって政治をした王もいたしね。
儒教の中でも考えが対立したり矛盾したりすることがあったんだね。
王妃側からすれば、王が幼ければ幼いほど垂簾聴政の期間が長くなって、自分たち一族の思い通りに政治を行えるから、あえて年少の後継者を立てることもあったそうよ。
戦略勝ちってわけだね。
でも19世紀に入って、世界の開化風潮が朝鮮に押し寄せてきたにも関わらず、60年もの間、その流れが読めない王妃たちによって勢道政治が続けられたことで朝鮮は滅亡への速度を一気に加速してしまうことになるの。