・思悼世子は誰の世継ぎだったの?
・米びつの中で死を遂げたってどう言うこと?なんで?
・思悼世子が登場する作品は?

こんな疑問に答えていくよ!
生後1年で世子に指名され、10歳で婚姻した思悼世子。
王になるまでの道を順調に歩んでいたかのように見えた彼が、米びつで悲運の死を遂げることになった裏には一体何があったのでしょうか?
そこで今回は、「思悼世子(サドセジャ)|米びつの中で非業の死を遂げた悲劇の世継ぎ」と題し、ご紹介していきます。
思悼世子(サドセジャ)のプロフィール
姓名 | 本名:李愃(イ・ソン)、封号:思悼世子(サドセジャ)、別号:荘献世子(チャンホンセジャ) |
生没年 | 1735年2月13日〜1762年7月12日 |
父 | 第21代王・英祖 |
妻 | 恵慶宮・洪氏 |
息子 | 第22代王・正祖 |
略年表
1735年 | 朝鮮王朝第21代王・英祖と暎嬪李氏の間に生まれる。 |
1744年 | 洪鳳漢の次女(のちの恵慶宮洪氏)と結婚。 |
1749年 | 代理聴政により、英祖から政務を任される。 |
1752年 | 李祘(のちの第22代王・正祖)誕生。 |
1762年 | 羅景彦(ナギョンオン)の「非行十項目」が引き金となり、28歳で死亡。 |
思悼世子を分かりやすく解説



思悼世子が生まれ育った時代は、英祖による党派を超えた人事登用策が功をなして朝廷はうまく機能していたんだけど、水面下では老論(ノロン)と少論(ソロン)が暗闘を繰り広げていたの。



そんな中、「世子がこのまま王になったらこの闘争に巻き込まれかねない」と心配した英祖が、自身の体調がすぐれないことを理由に世子に代理聴政を命じたんだって。



王になる前にある程度の対応力と免疫をつけさせてあげたかったんだね。



でも、国政に関わるようになった世子は次第に、父である英祖の施策に疑問や不満を持つようになったの。



次期王としての自覚が芽生え始めたんだね。ここまでなら、世代交代の局面でよく起こりそうなことなんだけど…。どうしてお父さんに米びつに閉じ込められるようになるまで関係が悪化しちゃったの?



この2人の些細な溝に英祖の継妃・貞純(チョンスン)王后がつけ込んだからよ。老論派だった貞純王后は少論派寄りだった世子がいる限り老論の政治的立場が危うくなると考えて、世子の行いを歪めて英祖に吹き込んだの。



あらららら。それでどんどん世子に対する不信感が増したってわけだね。



ええ。英祖に叱責されて怯えた世子は一種の躁うつ病を患って奇行を繰り返すようになってしまったの。そこに、さらに老論派の尹汲(ユングプ)の奴婢だった羅景彦(ナギョンオン)が世子の10項目にわたる非行を英祖に伝えたの。



追い討ちをかけたんだね。



それで、激怒した英祖は世子を廃位にして米びつに閉じ込めてしまったの。8日後に世子は餓死したわ。怒りに任せて世子にひどいことをしてしっまたと、英祖は生涯後悔したそうよ。



そうだよね。自分の子を自分の判断で帰らぬ人にしてしまったんだもんね。



父・英祖と思悼世子の仲を引き裂いたとされる貞純王后について詳しく知りたい人は次の記事も合わせて読んでみてね!


思悼世子(サドセジャ)が登場する作品一覧
ドラマ名 | 役者名 |
天よ、天よ | チョン・ボソク |
朝鮮王朝五百年 閑中録 | チェ・スジョン |
王道 | |
大王の道 | イム・ホ |
商道 | |
イ・サン | イ・チャンフン |
正祖暗殺ミステリー8日 | チョ・ハンジュン |
風の絵師 | キム・ウォンソク |
トキメキ☆成均館スキャンダル | |
ペク・ドンス | オ・マンソク |
秘密の扉 | イ・ジェフン |
赤い月 | キム・デミョン |
仮面の王 イ・ソン | ユ・スンホ |
映画名 | 役者名 |
永遠なる帝国 | |
美人図 | |
王の涙ーイ・サンの決断ー | キム・ジュンファン |
王の運命ー歴史を変えた八日間ー | ユ・アイン |