この記事では、新羅王歴代56人をまとめ、ピックアップ形式で注目の王を紹介しています。
・『花郎(ファラン)』にていた王様が気になる!
・新羅と日本人との関係って?
・歴代王の中で抑えておくべき王様について簡潔に知りたい!
三国時代の中でも最多の王を誇る新羅。
そんな新羅には『花郎(ファラン)』や『善徳女王』でも描かれた注目の王がたくさんいます。
「56人も王がいると、歴史の移り変わりも激しく頭の中が混乱してしまう」という人も必見!
注目の王にスポットライトを当てた紹介で効率的に分かりやすく歴史の繋がりを知ることができます。
王から時代を読み解くことで、時代劇の面白さがアップすること間違いなし!
それではスタート!
新羅歴代王56人を総まとめ!
新羅王朝の創始者・赫居世(ヒョッコセ)から続いた56人の王たち。
まずは、そんな王たちの系図を見ていきましょう。
※準備中
以下、歴代56人の王たちの名前と在位期間について一覧表で紹介していくわ!
歴史上重要人物にはリンクを付けているから気になる王さまがいたらクリックしてみてね。
王位 | 名前 | 在位期間 |
新羅初代王 | 赫居世(ヒョッコセ) | 紀元前57〜4年 |
新羅2代王 | 南解(ナメ) | 4〜24年 |
新羅3代王 | 儒理(ユリ) | 24〜57年 |
新羅4代王 | 脱解(タレ) | 57〜80年 |
新羅5代王 | 婆娑(パサ) | 80〜112年 |
新羅6代王 | 祗摩(チマ) | 112〜134年 |
新羅7代王 | 逸聖(イルソン) | 134〜154年 |
新羅8代王 | 阿逹羅(アダラ) | 154〜184年 |
新羅9代王 | 伐休(ポリュ) | 184〜196年 |
新羅10代王 | 奈解(ナヘ) | 196〜230年 |
新羅11代王 | 助賁(チョブン) | 230〜247年 |
新羅12代王 | 沾解(チョメ) | 247〜261年 |
新羅13代王 | 味鄒(ミジュ) | 261〜284年 |
新羅14代王 | 儒礼(ユレ) | 284〜298年 |
新羅15代王 | 基臨(キリム) | 298〜310年 |
新羅16代王 | 訖解(フレ) | 310〜356年 |
新羅17代王 | 奈勿(ネムル) | 356〜402年 |
新羅18代王 | 実聖(シルソン) | 402〜417年 |
新羅19代王 | 訥祗(ヌルジ) | 417〜458年 |
新羅20代王 | 慈悲(チャビ) | 458〜479年 |
新羅21代王 | 炤知(ソジ) | 479〜500年 |
新羅22代王 | 智証王(チジュンワン) | 500〜514年 |
新羅23代王 | 法興王(ポップンワン) | 514〜540年 |
新羅24代王 | 真興王(チヌンワン) | 540〜576年 |
新羅25代王 | 真智王(チンジワン) | 576〜579年 |
新羅26代王 | 真平王(チンピョンワン) | 579〜632年 |
新羅27代王 | 善徳女王(ソンドクヨワン) | 632〜647年 |
新羅28代王 | 真徳女王(チンドクヨワン) | 647〜654年 |
新羅29代王 | 武烈王(ムヨルワン) | 654〜661年 |
新羅30代王 | 文武王(ムンムワン) | 661〜681年 |
新羅31代王 | 神文王(シンムンワン) | 681〜692年 |
新羅32代王 | 孝昭王(ヒョソワン) | 692〜702年 |
新羅33代王 | 聖徳王(ソンドクワン) | 702〜737年 |
新羅34代王 | 孝成王(ヒョソンワン) | 737〜742年 |
新羅35代王 | 景徳王(キョンドクワン) | 742〜765年 |
新羅36代王 | 恵恭王(ヘゴンワン) | 765〜780年 |
新羅37代王 | 宣徳王(ソンドクワン) | 780〜785年 |
新羅38代王 | 元聖王(ウォンソンワン) | 785〜798年 |
新羅39代王 | 昭聖王(ソソンワン) | 798〜800年 |
新羅40代王 | 哀荘王(エジャンワン) | 800〜809年 |
新羅41代王 | 憲徳王(ホンドクワン) | 809〜826年 |
新羅42代王 | 興徳王(フンドクワン) | 826〜836年 |
新羅43代王 | 僖康王(ヒガンワン) | 836〜838年 |
新羅44代王 | 閔哀王(ミンエワン) | 838〜839年 |
新羅45代王 | 神武王(シンムワン) | 839年 |
新羅46代王 | 文聖王(ムンソンワン) | 839〜857年 |
新羅47代王 | 憲安王(ホナンワン) | 857〜861年 |
新羅48代王 | 景文王(キョンムンワン) | 861〜875年 |
新羅49代王 | 憲康王(ホンガンワン) | 875〜886年 |
新羅50代王 | 定康王(チョンガンワン) | 886〜887年 |
新羅51代王 | 真聖女王(チンソンヨワン) | 887〜897年 |
新羅52代王 | 孝恭王(ヒョゴンワン) | 897〜912年 |
新羅53代王 | 神徳王(シンドクワン) | 912〜917年 |
新羅54代王 | 景明王(キョンミョンワン) | 917〜924年 |
新羅55代王 | 景哀王(キョンエワン) | 924〜927年 |
新羅56代王 | 敬順王(キョンスンワン) | 927〜935年 |
【新羅】歴史上重要な王をPICK UP
新羅歴代王の中でも重要な人物の情報をまとめているわ。
タブを切り替えると詳細情報が見れるから、気になった人は見てね。
新羅2代王・南解(ナメ)
- 弱小の斯盧(サロ)国を民の協力を得て堅持
- 生没年:生年不詳〜24年
- 主な登場作品:『鉄の王 キム・スロ』
新羅4代王・脱解(タレ)
- 卵から生まれた昔氏(ソクシ)新羅の開祖
- 生没年:生年不詳〜80年
- 主な登場作品:『鉄の王 キム・スロ』
新羅24代王・真興王(チヌンワン)
- 花郎(ファラン)を率い伽耶を滅ぼした王
- 生没年:534〜576年
- 主な登場作品:『花郎<ファラン>』『善徳女王』
新羅25代王・真智王(チンジワン)
- 治世3年で死去、国人により廃位された王?!
- 生没年:生年不詳〜579年
- 主な登場作品:『善徳女王』
新羅26代王・真平王(チンピョンワン)
- 53年の治世で王権を強化し国力を高める
- 生没年:生年不詳〜632年
- 主な登場作品:『善徳女王』『薯童謠(ソドンヨ)』
新羅27代王・善徳女王(ソンドクヨワン)
新羅28代王・真徳女王(チンドクヨワン)
- 立場を守りながら親唐路線を貫いた女王
- 生没年:生年不詳〜654年
- 主な登場作品:『三国記ー三国時代の英雄たちー』
新羅29代王・武烈王(ムヨルワン)
新羅30代王・文武王(ムンムワン)
- キム・ユシンの協力を得て三国統一を果たす
- 生没年:626〜681年
- 主な登場作品:『大王の夢』『三国記ー三国時代の英雄たちー』
新羅47代王・憲安王(ホナンワン)
- 衰退する新羅の建て直しを婿に任せた王
- 生没年:生年不詳〜861年
- 主な登場作品:『太祖王建(ワンゴン)』
新羅48代王・景文王(キョンムンワン)
- 前王の娘をめとり、新羅の王権建て直しを目指す
- 生没年:生年不詳〜875年
- 主な登場作品:『太祖王建(ワンゴン)』
新羅51代王・真聖女王(チンソンヨワン)
- 愛人を重用し国を傾かせた新羅3人目の女王
- 生没年:生年不詳〜897年
- 主な登場作品:『太祖王建(ワンゴン)』
※後三国時代とは?
弱体化していた新羅の中で内部分裂が起こり、892年に農民の甄萱(キョンホン)が挙兵し、新羅王族の弓裔(クンイェ)が泰封(テボン:後高句麗)を建国します。918年には、建王(ワンゴン)が弓裔を滅ぼし、自らを王とした高麗を建国しました。935年には新羅を併合し、936年には後百済を滅ぼし、高麗は半島の再統一を成し遂げます。要するに後三国時代とは、弱体化した新羅が分裂してから、王建が朝鮮半島を再統一するまでの期間を指しています(892〜936年)。
新羅52代王・孝恭王(ヒョゴンワン)
- 後三国時代最弱となった金氏新羅最後の王
- 生没年:生年不詳〜912年
- 主な登場作品:『太祖王建(ワンゴン)』
新羅55代王・景哀王(キョンエワン)
- 高麗の支援を受けるも、後百済に捕らえられ自ら命を落とした王
- 生没年:生年不詳〜927年
- 主な登場作品:『太祖王建(ワンゴン)』
新羅56代王・敬順王(キョンスンワン)
- 高麗に国を譲り生きながらえた新羅最後の王
- 生没年:生年不詳〜978年
- 主な登場作品:『太祖王建(ワンゴン)』
新羅と日本人との関係をリサーチ!
新羅と日本との関係?互いに攻めたり攻められたりとかじゃなくて?
実は、「新羅は日本人が統治する国だった」っていう説があるの。あくまでも定説じゃないから、そんな説もあるんだ〜程度に聞いてね。
うんうん。そういう歴史の裏話大好き!
『三国史記』には「脱解王はもと多婆那(たばな)国の出身で、その国は倭国の東北一千里のところにある」って記されているの。
多婆那国っていうのが、現在の福岡県田川市のことだそうよ。
ええ!福岡出身の王様だったの?
福岡からどうやって新羅にたどり着いて、王様になったの?
4代王・脱解には卵生神話があるでしょ?なんでも、多婆那国の王妃が妊娠から7年も経って産んだのがこの卵で、「人が卵を産むなんて」と不吉に思った王が海に捨てさせたんだって。
半島の海岸に打ち上げられた脱解は、老婆に発見され育てられるの。成長するにつれて秀でた風貌と見識を発揮して、その噂を耳にした2代王・南解(ナメ)の婿となり4代目に就いたっていう話よ。
そんなことが…!この話が本当だとしたら脱解は日本人…。
ちなみに、建国者の赫居世に仕えた重臣の瓠公(ここう)も日本人だったと言われているわ。
建国者の重臣って、新羅建国に大きく影響してるってこと?!!
そう考えてもおかしくないわよね。新羅と日本人との関係は思ったよりも深いのかもしれないわ。