・善徳女王ってどんな人なの?
・ドラマ『善徳女王』に出てきたピダムとの関係は?
・ 女王は史実ではどうだったの?
こんな疑問に答えていくよ!
朝鮮半島初の女性君主として、数々の予言を行い新羅を守った善徳女王。
ドラマ『善徳女王』では、愛したピダムの死を見届けて亡くなるが…。史実では、どのような最期を迎えたのでしょうか。
そこで今回は、「善徳女王(ソンドク)実在した女王の略歴やピダムとの関係を調査!」と題しご紹介していきます。
善徳女王(ソンドク)のプロフィール
名前/本名 | 善徳女王(ソンドクヨワン)/金徳曼(キム・トンマン) |
生没年 | 生年不詳〜647年 |
在位期間 | 632〜647年 |
略年表
632年 | 新羅26代・真平王(チンピョンワン)の死去により女王に即位する。 |
634年 | 真平王代から用いられた建福(コンボク)の年号を仁平(インピョン)に改元する。芬皇寺(プヌァンサ)※を建立する。 |
635年 | 唐より楽浪郡公・新羅王の称号を得る。霊廟寺、天文を見るための瞻星台(せんせいだい)を建設する。 |
636年 | 百済、高句麗にたびたび領土を侵される。 |
640年 | 唐に留学生を送り交流を深める。 |
647年 | ピダムの内乱の平定中に亡くなる。 |
※芬皇寺(プヌァンサ)とは
統一新羅四大寺の一つで、偉大な高僧元暁(ウォンヒョ)大師と慈蔵(ジジャン)が立ち寄ったお寺。モンゴルからの侵略と豊臣秀吉による朝鮮出兵によりほとんどが破壊されて、今は小さな法堂と井戸、石塔のみが残っている。
史実では
新羅26代・真平王には3人の王女がいたといい、善徳女王は『三国史記』では、長女、『三国遺事』では次女とされる。いずれにしても、真平王に男子がいなかったことから、王が亡くなると後継者に選ばれ、朝鮮半島史上初の女性君主となった。
本名は、金徳曼(キム・トンマン)といい、カエルの鳴き声を聞いて敵の侵入を予言するなど、巫女的な君主だったと考えられている。引用:韓国時代劇で学ぶ人物大辞典
しかし、政治手腕にも優れ、百済と高句麗の侵攻に対しては、金春秋(キム・チュンチュ)、金庾信(キム・ユシン)ら有能な人材を登用し、大国の唐に接近して外交的解決を目指した。一方で、唐からの「女王を廃して唐の王族から新王を立てろ」という要求は断固拒否して、新羅の独立性を保った。
ピダムとの関係をリサーチ
史実でピダムは、女王自らの任命で最高官位の役職に就くんだけど、唐からの圧力に負けて女王を廃位するために反乱を起こしているの。ドラマでは相思相愛の関係として描かれているわよね。
女王自らの任命か。そこに愛があったかは分からないけど、相当信頼されていたんだろうね。
ええ。この反乱は金春秋、金庾信ら王女派が新たに28代・真徳(チンドク)女王を立てたことで鎮圧したんだけど、一説にはピダムが王位を目指していたとも言われているのよ。
そうなの?!
真実は分からないけどね。この反乱によって、ピダムの一族は全員が処刑されて、唐の策略に加担した者も一掃されたそうよ。
女王の信頼を裏切ったバチが当たったんだね。
善徳女王(ソンドク)が登場する主な作品一覧
作品名 | 役者名 |
善徳女王(09) | イ・ヨウォン/ナム・ジヒョン(少女期) |
大王の夢(12〜13) | パク・チュミ、ホン・ウニ |
ドラマ『善徳女王』では、民衆の中で育ったトンマンが、花郎(ファラン)に入りキム・ユシンらと絆を深めて女王に即位するサクセスストーリーとなっているわ。
花郎ってあのドラマの?!
ええ。でもドラマ『花郎』ではイケメン集団の親衛隊として描かれている一方で、『善徳女王』では完全な戦闘集団として描かれているわ。
ドラマの設定に合わせて脚色してるってことだね。
そういうことね。『善徳女王』も、三国統一に向けた新羅の発展にスポットを当てながらも、内容はほぼ脚色されているの。ドラマでは愛したピダムの死を見届けて死を迎えることになっているんだけど、史実では、ピダムが起こした乱の陣中で病死しているんだって。
そうだったんだ!
ちなみに『大王の夢』では、もともとパク・チュミが善徳女王を演じていたんだけど、事故に遭って降板したから、途中からホン・ウニが演じたんだって。