・そもそもタムドクは実在したの?
・『太王四神記』でヨン様が演じたタムドクについて詳しく知りたい!
・どうして英雄王と呼ばれるの?
こんな声に答えていくよ。
高句麗第19代王として実在したタムドク。彼は、西に東に領土を拡大し中国本土に石碑を刻んだ英雄として高く評価されました。
そんなタムドクの功績や生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そこで今回は、「タムドクは実在した?高句麗最大の領土を築いた英雄王の歴史に迫る」と題しご紹介していきます。
タムドクのプロフィール
名前/本名 | 広開土王(クァンゲトワン)/高談徳(コ・タムドク) |
生没年 | 374〜412年 |
在位期間 | 391〜412年 |
息子 | 高句麗第20代王・長寿王(チャンスワン) |
略年表
374年 | 高句麗18代王・故国壌王(コグギャンワン)の子として誕生する。 |
391年 | 先王の死により第19代高句麗王となる。 |
392年 | 百済に侵攻を開始し、石峴城など10の城を攻略する。 |
396年 | 百済遠征で漢江を越え58城700余村を陥落させる。 |
400年 | 倭の侵攻を受けた新羅を救援し伽耶まで追撃する。 |
406年頃 | 南方征伐中に後燕国の侵攻を受けるも撃退する。 |
410年 | 東扶余を降伏させ、高句麗最大版図を築く。 |
分かりやすく解説
広開土王は、高句麗第18代・故国壌王の子として386年に太子に封じられて、391年に第19代王として即位したわ。当時、高句麗は南の百済や西の燕国に圧迫されていたんだけど、広開土王の即位とともに反撃に転じて、翌年には百済の城10ヶ所をわずか3日で攻め落とす快進撃を見せたの!
すごい快挙だね!
それだけじゃないの!後燕にも侵攻して、百済、東扶余などを征服したのよ。西は満州南部、東北はロシアと接する吉林省や黒竜江省に達し、南は朝鮮半島中部の臨津江(イムジンガン)沿いまで、東西南北全域で領土を拡大し、高句麗最大の版図を築いたの!
あれよ、あれよと領土を拡大していったんだね!
元号を「永楽(ヨンナク)」として内政にも尽力し、繁栄をもたらしたことから「好太王(ホンテワン)」「広開土大王(クァンゲトテワン)」などとも呼ばれているそうよ。その功績は、息子である20代・長寿王が現在の中国吉林省集安市に建立した広開土大王碑に残っているわ。
圧倒的な戦闘力と頭脳を生かして国を繁栄させたことから英雄と呼ばれているんだね!
タムドクが登場する主な作品
ドラマ名 | 役者名 |
太王四神記(07) | ペ・ヨンジュン |
広開土太王(11〜12) | イ・テゴン |
ペ・ヨンジュン主演の『太王四神記』では、神話がミックスされて天帝の子・桓雄(ファヌン)の生まれ変わりとされているの。ストーリーも神話時代から繰り返される三角関係が中心で、臣下となる四神を集めて王位に就くまでのファンタジー作品になっているわ。
そうなんだ。歴史に忠実に、っていうよりもファンタジー要素を盛り込んで面白く仕上げたんだね。
予算も映画並みだったそうよ。
さすが、ヨン様が主演なだけあるね!
でも、この撮影期間中に刀で右手人差し指の靭帯を切断したり、頚椎と肩靭帯を負傷して手術を受けたりと結構なダメージを受けたみたい。
うわああ。考えただけでも痛々しいよ。
ね〜。イ・テゴン主演の『広開土太王』は、異民族との戦いが中心で、政戦両面から高句麗最大の領土を手に入れる史実に近い内容となっているわ。ファンタジー、あるいはヨン様を楽しみたい!という人には『太王四神記』が、史実に基づいた作品がみたい!という人には『広開土太王』がおすすめね。