【高麗王朝2代】恵宗(ワンム)|王権を脅かす勢力に実権を握られた王

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・恵宗ってどんな人物だったの?
・恵宗の登場する作品が知りたい!

なつき

こんな声に応えていくよ!

太祖王建の長男として生まれ、高麗王朝第2代王として即位した恵宗。

ドラマ『『麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜』』で弟皇子たちを思いやる、心優しい孤独な王として描かれていた彼の史実に基づく生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は「【高麗王朝2代】恵宗(ワンム)|王権を脅かす勢力に実権を握られた王」と題し、ご紹介していきます。

目次

恵宗(へジョン)/王武(ワンム)のプロフィール

本名王武(ワンム)
生没年912〜945年
在位期間943〜945年
初代王・太祖
荘和王后 呉氏(チャンファワンフ オシ)
異母弟王尭(3代王・定宗)、王昭(4代王・光宗)など

略年表

912年太祖王建と荘和王后呉氏の長男として羅州(ナジュ)で誕生する。
921年太子に冊封され、後百済との戦いに参加する。
943年高麗第2代王として即位する。
945年即位わずか2年後に病死する。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

恵宗を分かりやすく解説

なつき

恵宗は高麗王朝第2代王で、太祖王建と荘和王后呉氏の長男として生まれたわ。呉氏との出会いは、王建が弓裔(クンイェ)の忠臣だった900年代初頭に赴いた羅州だったそうよ。でも、呉氏の家系は中国からの帰化人で、名家の娘ではなかったから恵宗の即位には困難が伴ったの。

はると

どうやって恵宗は王になったの?

なつき

太祖の側近・パクスリが太子冊封に奔走したの。その甲斐あって恵宗は921年に太子となったわ。その後は父の命に従って、後百済との戦いに参加するなどの功績を積んで、太祖の死後、943年に即位したの。

はると

お父さんの側近からの後押しがあったんだね!

なつき

ええ。でも即位後は、異母弟である王尭(ワンヨ)、王昭(ワンソ)らから常に王位を狙われ、外戚の重臣である王規(ワンギュ)に実権を握られた状態だったそうよ。

はると

せっかく王になったのに…。

なつき

恵宗はこうして明確な功績を残せないまま、即位わずか2年でこの世を去ったわ。病死とされているんだけど、暗殺だったのではないかって疑惑も残っているんだって。恵宗の死の直前には信頼していた側近のパクスリが、王規一派によって謀反の罪を着せられ亡き者にされているの。

恵宗(へジョン)/王武(ワンム)の登場する主な作品

作品名役者名
太祖王建(00)アン・ジョンフン
光宗大王〜帝国の朝〜(02)ノ・ヨングク
麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜(16)キム・サノ
なつき

『光宗大王〜帝国の朝〜』では、病気がちで弱々しい恵宗が重臣・王規に頼りきりになっている姿が描かれているわ。王規が王権を狙っていると知った王尭、王昭は豪族たちと結託して王規を追放するの。

はると

王の座って常に誰かに狙われているよね。

なつき

そうね。『麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜』でも、王権を守ることはできないけど、弟皇子たちを思いやる、心優しい孤独な王として登場しているわ。

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