ワンヨとは?実在した高麗3代王・定宗|何をした王か・最後・ドラマとの違い

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ワンヨ(王尭)は実在した高麗第3代王・定宗です。王規を排除して王位を固め、西京への遷都を進めましたが、病が重くなり、949年に弟の王昭(光宗)へ王位を譲った後に亡くなりました。

高麗王朝初代王・太祖王建を父に持ち、建国に貢献した臣下らの後ろ盾を得て3代王に即位した定宗。

しかし、在位は4年ほどと短く、西京への遷都を進める途中で病が重くなりました。949年、同母弟の王昭(ワンソ)へ王位を譲ったのちに亡くなっています。

この記事では、ワンヨは実在した人物なのか、何をした王なのか、どのように王位へ就き、最後を迎えたのかを史料に沿って整理します。ドラマ『麗』の設定と史実の違いも分けて見ていきましょう。

目次

ワンヨとは?高麗第3代王・定宗を30秒で解説

ワンヨは太祖王建の息子で、第2代王・恵宗の異母弟、第4代王・光宗の同母兄にあたります。923年に生まれ、945年から949年まで王位にありました。生涯の要点は次の4つです。

  • 何をした王? 王式廉の軍事力を背景に王位を固め、政敵の王規を排除しました。
  • 代表的な政策は? 開京から西京(現在の平壌)への遷都を進めましたが、重い労役への反発を招き、実現しませんでした。
  • 最後は? 949年に病が重くなり、弟の王昭へ王位を譲った後に亡くなりました。王昭は第4代王・光宗となります。
  • ドラマでは? 『麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜』でホン・ジョンヒョンが演じています。

定宗と高麗初期の王位継承を理解する関連記事

定宗は高麗王朝第3代王で、恵宗の後を継いだ王です。高麗初期は王族と豪族の力関係が不安定で、王位継承そのものが政治の大きな焦点でした。恵宗と光宗の記事をあわせて読むと、定宗の位置づけと次代の改革へつながる背景が理解しやすくなります。

定宗(チョンジョン)/王尭(ワンヨ)のプロフィール

本名王尭(ワンヨ)
生没年923〜949年
在位期間945〜949年
父初代王・太祖
母神明順成王后 劉氏(シンミョンスンソンワンフ ユシ)
実弟第4代王・光宗(クァンジョン)

略年表

923年太祖王建と神明順成王后劉氏の間に生まれる。
925年同腹の弟・王昭(後の高麗第4代王・光宗)が誕生する。
943年異母兄の王武が、高麗第2代王・恵宗として即位する。
945年恵宗の死去に伴い、自らが第3代王として即位する。
949年即位後3年半で病死する。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

史実では

高麗第3代王。


恵宗(へジョン)が第2代王として即位すると、異母弟の王尭(ワンヨ)、王昭(ワンソ)はともに王座を狙い始める。


この動きは当時、朝廷を牛耳っていた外戚・王規(ワンギュ)から恵宗の耳に入る。だが恵宗はこれを放置してしまう。その間に王尭は恵宗の側近・パクスリを排除して着々と事を進めていた。


一方、王規は自分の孫を王座に就けようと動き始めていた。


このことを知った王尭は太祖の従兄弟であり、建国功臣の王式廉(ワンシンニョム)を呼び寄せる。西京(現在の平壌)で勢力を築いていた王式廉は軍隊を率いて王規を討ち、王尭の後ろ盾となって即位に貢献した。


こうして3代王として即位した定宗だが、側近となった王式廉に逆らえず、彼の領地である西京への遷都を強引に進めたために、民心が離れてしまう。


即位からわずか3年半、定宗は弟の王昭に王位を譲ると言い残してこの世を去る。

引用:韓国時代劇で学ぶ人物大辞典

ワンヨは何をした王?史実の3つのポイント

1. 王式廉を後ろ盾に即位し、王規を排除した

ワンヨは、高麗を建国した太祖王建と神明順成王后劉氏の間に生まれました。異母兄の恵宗(ワンム)が亡くなった945年、高麗第3代王として即位します。

高麗初期は、王族と有力豪族が王位をめぐって対立する不安定な時代でした。ワンヨは西京で軍事力を持っていた王式廉を後ろ盾とし、即位後には王規を排除して王位を固めます。ただし、自前の政治基盤はまだ弱く、王式廉の影響を強く受ける王でもありました。

2. 西京への遷都を進めたが、民衆の反発を招いた

定宗を代表する政策が、西京への遷都計画です。西京は現在の平壌にあたり、王式廉の勢力基盤でもありました。『高麗史節要』には、宮殿建設のために人々を動員し、開京の住民を西京へ移そうとしたことが記されています。

終わりの見えない労役は大きな負担となり、民心は離れていきました。定宗の死後、工事に動員されていた人々が喜んだと記されるほど反発が強く、遷都計画は実現しないまま終わります。

3. 病が重くなり、弟の王昭へ王位を譲った

949年、ワンヨは病状が悪化すると、同母弟の王昭に王位を譲って帝釈院へ移り、その後に亡くなりました。暗殺されたのではなく、史料では病が重くなった末の死として記録されています。

王位を継いだ王昭は第4代王・光宗となり、奴婢按検法や科挙制度によって王権強化を進めました。定宗の短い治世は、高麗初期の豪族政治から光宗の改革へ移る途中に位置づけられます。

ドラマ『麗』のワンヨと史実の違い

ドラマ『麗』では、ワンヨは王位への強い野心を持つ皇子として描かれます。史実でも王式廉を後ろ盾に即位し、王規を排除したことは確認できますが、人物の会話や感情、皇子たちとの細かな対立はドラマとして再構成された部分です。

また、史実で特に重要なのは、西京遷都を強く進めて民衆の反発を招いたことと、病が重くなった後に王昭へ王位を譲ったことです。ドラマの印象だけでなく、この2点を押さえると実在したワンヨの生涯が理解しやすくなります。

ワンヨの史実を確認した主な資料

定宗(チョンジョン)/王尭(ワンヨ)の登場する主な作品

作品名(ドラマ)役者名
輝くか、狂うか(15)リュ・スンス
麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜(16)ホン・ジョンヒョン

『輝くか、狂うか』では重臣に実権を握られたうえに、王位を狙う勢力に毒を盛られて正気を失う定宗の姿が描かれているわ。

ドラマ『麗』では、王位への野心をむき出しにする邪悪な姿から、心の弱さを露呈させる痛々しい末路が描かれたわ。

野心家のプリンス役だね!『麗』は高麗王朝初期の主要人物が多く出ているよね!

イケメン揃いで、ひと時も画面から目が離せないの!

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