【高麗王朝3代】定宗(ワンヨ)|強力な後ろ盾を得て王座に就いた王

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・ドラマ『麗』でホン・ジョンヒョンが演じていた定宗について詳しく知りたい!
・史実ではどのような生涯を辿ったの?

なつき

こんな声に応えていくよ!

高麗王朝初代王・太祖王建を父に持ち、建国に貢献した臣下らの後ろ盾を得て3代王に即位した定宗。

しかし、即位からわずか3年半で弟の王昭(ワンソ)に王位を譲り病死した彼の儚い生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は「【高麗王朝3代】定宗(ワンヨ)|強力な後ろ盾を得て王座に就いた王」と題し、ご紹介していきます。

目次

定宗(チョンジョン)/王尭(ワンヨ)のプロフィール

本名王尭(ワンヨ)
生没年923〜949年
在位期間945〜949年
初代王・太祖
神明順成王后 劉氏(シンミョンスンソンワンフ ユシ)
実弟第4代王・光宗(クァンジョン)

略年表

923年太祖王建と神明順成王后劉氏の間に生まれる。
925年同腹の弟・王昭(後の高麗第4代王・光宗)が誕生する。
943年異母兄の王武が、高麗第2代王・恵宗として即位する。
945年恵宗の死去に伴い、自らが第3代王として即位する。
949年即位後3年半で病死する。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

史実では

高麗第3代王。


恵宗(へジョン)が第2代王として即位すると、異母弟の王尭(ワンヨ)、王昭(ワンソ)はともに王座を狙い始める。


この動きは当時、朝廷を牛耳っていた外戚・王規(ワンギュ)から恵宗の耳に入る。だが恵宗はこれを放置してしまう。その間に王尭は恵宗の側近・パクスリを排除して着々と事を進めていた。


一方、王規は自分の孫を王座に就けようと動き始めていた。


このことを知った王尭は太祖の従兄弟であり、建国功臣の王式廉(ワンシンニョム)を呼び寄せる。西京(現在の平壌)で勢力を築いていた王式廉は軍隊を率いて王規を討ち、王尭の後ろ盾となって即位に貢献した。


こうして3代王として即位した定宗だが、側近となった王式廉に逆らえず、彼の領地である西京への遷都を強引に進めたために、民心が離れてしまう


即位からわずか3年半、定宗は弟の王昭に王位を譲ると言い残してこの世を去る。

引用:韓国時代劇で学ぶ人物大辞典

定宗(チョンジョン)/王尭(ワンヨ)の登場する主な作品

作品名(ドラマ)役者名
輝くか、狂うか(15)リュ・スンス
麗<レイ>〜花萌ゆる8人の皇子たち〜(16)ホン・ジョンヒョン
なつき

『輝くか、狂うか』では重臣に実権を握られたうえに、王位を狙う勢力に毒を盛られて正気を失う定宗の姿が描かれているわ。

なつき

ドラマ『麗』では、王位への野心をむき出しにする邪悪な姿から、心の弱さを露呈させる痛々しい末路が描かれたわ。

はると

野心家のプリンス役だね!『麗』は高麗王朝初期の主要人物が多く出ているよね!

なつき

イケメン揃いで、ひと時も画面から目が離せないの!

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