許浚(ホジュン)|朝鮮に実在した伝説の医師!『東医宝鑑』の編纂者

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・ホジュンって実在したの?
・彼の功績について知りたい!『東医宝鑑』って何?
・関連人物は?

なつき

こんな声に応えていくよ!

12代王・仁宗〜15代王・光海君の時代に実在した伝説の医師・ホジュン。

彼は、医学書『東医宝鑑(トンイポガム)』を編纂し、朝鮮の医術・漢方医学の発展に大きく貢献しました。

そんな彼の生涯とは、一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は「許浚(ホジュン)|朝鮮に実在した伝説の医師!『東医宝鑑』の編纂者」と題し、ご紹介していきます。

目次

許浚(ホジュン)のプロフィール

名前許浚(ホ・ジュン)
生没年1539〜1615年
職業医師

略年表

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1539年武官の許碖(ホ・ロン)の庶子として生まれる。
1571年内医院僉正(ネイウォンチョムジョン:従四品)に任じられる。
1590年王子だった光海君の痘瘡(天然痘)を治療する。
1592年壬辰倭乱(イムジンウェラン:文禄の役)勃発、宣祖の逃避行に追随。
1608年宣祖の死に伴い罷免、配流に処されるが、翌年に赦免される。
1610年『東医宝鑑』完成。
1615年死去。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

分かりやすく解説

なつき

ホジュンは、『舎岩鍼法(サアムチムポプ)』を編み出した舎岩道人(サアムドイン)、『四象医学(ササンイハク)』を確立した李済馬(イジェマ)と並んで「韓医学3大医学者」と呼ばれているわ!

はると

すごい人なんだね!ホジュンの生い立ちは?

なつき

武官の庶子だったんだけど、勉強するのに困らない環境で育って、幼い頃から学ぶことが好きだったそうよ。医者を志した時期については不明なんだけど、30歳を過ぎた頃に儒学者の柳希春(ユヒチュン)の推薦で宮中の医薬を担当する内医院の職を得たの!

はると

推薦で宮中の医師に!?

なつき

科挙も通っていないし、庶子だったことを考えると破格の人事よね!よっぽど彼が優秀な人材だったんでしょうね。

はると

本当だね〜。

なつき

その後、御医の補佐で宣祖の脈診をしたことを機に医学者としての頭角を表したの。1590年には、王子だった光海君の天然痘を治したことで、身分が両班へと格上げされたわ。

はると

王子を救った功績として身分が上げられたんだね!

なつき

1592年には文禄の役が勃発して、逃げる宣祖について行ったそうよ。宣祖の死とともに罷免されたんだけど、光海君によって宮中に呼び戻されてからは、宣祖に編纂を命じられていた『東医宝鑑』を完成させたの。

朝鮮医学の原点『東医宝鑑』

なつき

ホジュンが編纂した『東医宝鑑(トンイポガム)』は、全25巻からなる、朝鮮の人々に合う処方を集めて使いやすく分類した医学書よ!中国では「今まで出た医学書の欠点を補完した天下の宝」とまで評されたそうよ。

はると

天下の宝か〜。朝鮮の人々に合う処方ってことは、同じアジア人である中国人や日本人にも応用できたんだろうね!

なつき

ええ。『東医宝鑑』は日本でも漢方医学の基礎教材として、400年以上経った今も広く使用されているわ。2009年にはユネスコの世界記録遺産にも登録されたそうよ!

許浚(ホジュン)の登場する主な作品

なつき

朝鮮最高の名医と言われるだけに、ホジュンを主人公にした作品は多いわ!中でも『ホジュン 宮廷医官への道』は99年に放送されたものだけど、今だに人気の作品よ!当時、最高視聴率63.7%を記録したそうよ!

ドラマ名役者名
ホジュン 宮廷医官への道(99)チョン・グァンリョル
ホジュン〜伝説の心医〜(13)キム・ジュヒョク
魔女宝鑑 〜ホジュン、若き日の恋〜(16)ユン・シユン
医心伝心〜脈あり!恋あり?〜(17)オム・ヒョソプ
なつき

『魔女宝鑑 』や『医心伝心』などの作品は、ラブロマンスの要素もたっぷり含まれているわ!『魔女宝鑑 』で初の時代劇を演じたユン・シユンのイケメンっぷりにも注目ね!

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