鄭夢周(チョン・モンジュ) |高麗王朝への忠誠心を貫いて散った大学者

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・鄭夢周はなぜ次第に李成桂や鄭道伝と対立するようになったの?
・どんな最期を迎えたの?
・彼が登場する作品について知りたい!

なつき

こんな声に答えていくよ!

李成桂(イ・ソンゲ)と共に、高麗王朝の改革を目指して尽力するも最期は儚く散った鄭夢周。

そんな彼の生涯とは一体どのようなものだったのでしょうか。

そこで今回は「鄭夢周(チョン・モンジュ) |高麗王朝への忠誠心を貫いて散った大学者」と題し、ご紹介していきます。

目次

ドラマ『六龍が飛ぶ』と史実をあわせて読む

鄭夢周(チョン・モンジュ)は、改革の必要性を理解しながらも、高麗王朝への忠誠を最後まで変えなかった文臣です。新王朝を目指す側から見れば障壁ですが、単なる敵役ではありません。守るべき国と秩序をどう考えるかという違いが、李成桂・鄭道伝・李芳遠との対立を生みました。

『六龍が飛ぶ』のキャスト・登場人物まとめで勢力関係を確認し、李成桂の生涯鄭道伝の生涯を続けて読むと、同じ改革志向を持つ人物たちがなぜ別の道を選んだのかが見えます。ドラマでは李成桂役のチョン・ホジン、李芳遠役のユ・アインの演技にも注目すると、政治的な対立と個人の葛藤を区別して理解できます。

  • 鄭夢周:高麗の枠組みを守りながら改革を進める立場
  • 鄭道伝:新しい王朝と制度を構想する立場
  • 李芳遠:新王朝成立のため、反対勢力を排除しようとする立場

鄭夢周(チョン・モンジュ)のプロフィール

名前鄭夢周(チョン・モンジュ)/圃隠(ポウン)
生没年1338〜1392年
職業文臣

略年表

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1328年慶尚比道永川の裕福な両班家で生まれる。
1357年科挙に首席合格する。
1363年李成桂とともに女真族討伐に従軍する。
1377年日本へ赴き、室町幕府の九州探題・今川貞世と会談する。
1392年李成桂に共鳴して恭譲王(コンヤンワン)擁立に貢献するが、李芳遠の刺客によって殺害される。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

分かりやすく解説

なつき

鄭夢周は、代々官僚を輩出した裕福な両班家の生まれで、李成桂とともに女真族討伐に従軍したわ。この時、李成桂の人柄に惹かれ、彼の考えを支持するようになったそうよ。

はると

そうだったんだ〜!

なつき

でも、辛旽(シンドン)が国政を担った時代に要職に就いていたせいで、辛旽の失脚時に“辛旽一派”との濡れ衣を着せられたの。

はると

確か、辛旽が国政を担うようになったのは第31代王・恭愍王の時代だったよね。妃であった魯国公主が亡くなって抜け殻のようになった恭愍王は当時、信頼していた辛旽に政治を任せっきりにしたんだよね。

なつき

ええ。でも当時、中国大陸を統一した明との外交関係樹立に貢献したことで信頼を回復して、その後も日本に赴くなど外交手腕を発揮したの。1388年に李成桂がクーデターを起こすと、志を同じくした鄭夢周も恭譲王擁立に貢献したわ。

はると

じゃあなんで、鄭夢周は李成桂の息子である李芳遠の刺客によって殺害されることになったの?

なつき

新しい王朝の建国を目指す李成桂と、あくまでも高麗王朝の立て直しを目指す鄭夢周との間に亀裂が走るようになったからよ。

はると

そうだったんだ…。

なつき

ドラマ『六龍が飛ぶ』で鄭夢周が李芳遠にやられるシーンで交わした詩「何如歌(ハヨガ)」と「丹心歌(タンシムガ)」に2人の心情がよく表れているわ。これは、今でもよく知られる有名な詩なのよ。

「何如歌(ハヨガ)」と「丹心歌(タンシムガ)」
李芳遠が鄭夢周に「おとなしく私たちと手を取り合って新しい王朝を建てよう」と何如歌を謳ったのに対し、鄭夢周は「たとえ死んでも高麗への忠誠心は変えない」という丹心歌で返答した。

鄭夢周(チョン・モンジュ)が登場する主な作品

なつき

鄭夢周の最期は、多くの作品でドラマチックに描かれているわ。

作品名役者名
開国(83)ソン・ジェホ
龍の涙(96)チョン・スンヒョン
大風水(12〜13)パク・ヒョンジェ
鄭道傳<チョン・ドジョン>(14)イム・ホ
六龍が飛ぶ(15〜16)キム・ウィソン
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