思悼世子(サドセジャ)はなぜ米びつで死んだ?英祖・正祖との関係とドラマ

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・思悼世子は誰の世継ぎだったの?
・米びつの中で死を遂げたってどう言うこと?なんで?
・思悼世子が登場する作品は?

なつき

こんな疑問に答えていくよ!

生後1年で世子に指名され、10歳で婚姻した思悼世子。

王になるまでの道を順調に歩んでいたかのように見えた彼が、米びつで悲運の死を遂げることになった裏には一体何があったのでしょうか?

そこで今回は、思悼世子が米びつで亡くなった経緯、英祖・恵慶宮洪氏・正祖との関係、登場作品を整理してご紹介します。

目次

思悼世子はなぜ米びつで亡くなった?家族関係を先に整理

思悼世子(サドセジャ)は、21代王・英祖の世子であり、22代王・正祖の父です。王に即位する前の1762年、父・英祖の命令で米びつに入り、8日後に亡くなりました。父子の不和だけでなく、代理聴政をめぐる緊張、党派対立、世子の心身の不調など、複数の要因を分けて見ることが大切です。

確認点要点
どんな人物?本名は李愃(イ・ソン)。英祖と暎嬪李氏の子として1735年に生まれ、幼くして世子に冊封されました。
家族関係父は英祖、妻は恵慶宮洪氏、息子は後の正祖です。『イ・サン』では、この3世代の関係が王位継承の重要な背景になります。
米びつ事件1762年、羅景彦による非行の告発をきっかけに英祖が処分を決断し、世子は米びつに入れられて8日後に亡くなったと伝わります。
王になった?生前は即位していません。死後に「思悼世子」の諡号を受け、正祖による名誉回復を経て、1899年に荘祖として追尊されました。
主な映像作品ドラマ『イ・サン』『秘密の扉』、映画『王の運命―歴史を変えた八日間―』などで描かれています。

事件を父の立場から見るなら英祖、家族が残した記録とその後を知るなら恵慶宮洪氏正祖の記事が参考になります。ドラマの人物関係は『イ・サン』のキャスト・登場人物、映画で思悼世子を演じた俳優はユ・アインの記事で確認できます。

思悼世子(サドセジャ)のプロフィール

姓名本名:李愃(イ・ソン)、封号:思悼世子(サドセジャ)、別号:荘献世子(チャンホンセジャ)
生没年1735年2月13日〜1762年7月12日
第21代王・英祖
恵慶宮・洪氏
息子第22代王・正祖

略年表

スクロールできます
1735年朝鮮王朝第21代王・英祖と暎嬪李氏の間に生まれる。
1744年洪鳳漢の次女(のちの恵慶宮洪氏)と結婚。
1749年代理聴政により、英祖から政務を任される。
1752年李祘(のちの第22代王・正祖)誕生。
1762年羅景彦(ナギョンオン)の「非行十項目」が引き金となり、28歳で死亡。
引用:韓国時代劇で学ぶ人物事典

思悼世子を分かりやすく解説

なつき

思悼世子が生まれ育った時代は、英祖による党派を超えた人事登用策が功をなして朝廷はうまく機能していたんだけど、水面下では老論(ノロン)と少論(ソロン)が暗闘を繰り広げていたの。

なつき

そんな中、「世子がこのまま王になったらこの闘争に巻き込まれかねない」と心配した英祖が、自身の体調がすぐれないことを理由に世子に代理聴政を命じたんだって。

はると

王になる前にある程度の対応力と免疫をつけさせてあげたかったんだね。

なつき

でも、国政に関わるようになった世子は次第に、父である英祖の施策に疑問や不満を持つようになったの。

はると

次期王としての自覚が芽生え始めたんだね。ここまでなら、世代交代の局面でよく起こりそうなことなんだけど…。どうしてお父さんに米びつに閉じ込められるようになるまで関係が悪化しちゃったの?

なつき

死に至る経緯は、英祖との父子関係、代理聴政をめぐる政治的緊張、党派対立、世子の心身の不調など、複数の要因が重なったものとして考える必要があるの。

はると

一人の働きかけだけでなく、複数の事情が積み重なったんだね。

なつき

ええ。英祖の叱責を恐れるなかで世子の心身の不調が深まり、問題行動も記録されるようになったの。1762年、羅景彦が世子の非行を告発したことが事件の直接のきっかけになったとされるわ。

はると

追い討ちをかけたんだね。

なつき

それで、英祖は世子に米びつへ入るよう命じたの。世子は8日後に亡くなったと伝わるわ。英祖は死後、「思悼」の諡号を贈ったの。

はると

そうだよね。自分の子を自分の判断で帰らぬ人にしてしまったんだもんね。

なつき

事件後の宮廷政治を別の角度から知りたい人は、英祖の継妃・貞純王后の記事も合わせて読んでみてね!

思悼世子(サドセジャ)が登場する作品一覧

ドラマ名役者名
天よ、天よチョン・ボソク
朝鮮王朝五百年 閑中録チェ・スジョン
王道
大王の道イム・ホ
商道
イ・サンイ・チャンフン
正祖暗殺ミステリー8日チョ・ハンジュン
風の絵師キム・ウォンソク
トキメキ☆成均館スキャンダル
ペク・ドンスオ・マンソク
秘密の扉イ・ジェフン
赤い月キム・デミョン
仮面の王 イ・ソンユ・スンホ
映画名役者名
永遠なる帝国
美人図
王の涙ーイ・サンの決断ーキム・ジュンファン
王の運命ー歴史を変えた八日間ーユ・アイン

思悼世子の呼称は、ドラマ「イ・サン」の人気で定着した?!
世子の死を悔いた英祖が「思えば思うほど悲しくなる」と言う意味の「思悼世子」という諡号(しごう:個人の生前の徳や行いを讃えて死後に贈る名前)を与えていたが、思悼世子の息子・正祖は即位後、父の名誉を回復し、名君を意味する「荘献世子(チャンホンセジャ)」というおくりなに改めていた。1899年には、「荘祖(チャンジョ)」として追尊されたが、ドラマの影響で最近では思悼世子の呼び名が一般的となった。

思悼世子が登場・関連する韓国時代劇

思悼世子は『イ・サン』を理解するうえで重要な人物です。父・英祖、妻・恵慶宮、息子・正祖の関係を押さえると、ドラマ序盤の緊張感や王位継承の背景が整理しやすくなります。

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